■さらに、ペルーでの言い伝えでは

 最初「チレーナ」という言葉を聞いたとき、私はチリ人女性がスカートのままオーバーヘッドキックをしている図を想像して、笑ってしまった。しかし別に女性のことを指すのではなく、「キック」に当たるスペイン語「パターダ」が女性名詞であるためにそれについた「チリの」という形容詞が「チレーナ」になっただけだったのだ。

 ちなみに、彼がデビューしたタルカウアノ市のエル・モーロ・スタジアムのすぐ北の海浜公園には、彼の見事な「チレーナ」をかたどったブロンズ像が飾られている。3本の細い柱に支えられた重さ600キロもあるブロンズのウンサガは、3メートルもの高さでジャンプしている。ボールはない。すぐ近くの海まで飛んでいってしまったらしい。タルカウアノ市は、エル・モーロ・スタジアムを「ラモン・ウンサガ・スタジアム」と改称し、せっせと「オーバーヘッドキック誕生の町」をアピールしている。

 ところが、南米にはもうひとつの「伝説」がある。長く南米サッカー連盟のオフィシャル・マガジンを制作し、南米のサッカー史を研究してきたアルゼンチン人ジャーナリストのホルヘ・バラッサは、オーバーヘッドキックのルーツはチリではなくペルーにあると言う。

 こちらも、舞台は港町である。ペルーの首都リマの「外港」にあたるカヤオ市のグラウンドで、1892年、英国人の船員チームと地元民のチームが対戦した。そのときに、アフリカ系の地元選手がこのアクロバティックなキックをして英国人たちを驚かせたのだという。私の古い友人でもあるバラッサは、「ペルーの首都リマの外港であるカヤオと、同じようにチリの首都リマの外港であるバルパライソのサッカーチームは定期戦を行っていた。ウンサガはそこでオーバーヘッドキックを見たのではないか」と語っている。

 そして、ウンサガのキックを見たタルカウアノの人びとが最初に呼んだ「チャラカ」というキックの名称は、「カヤオの人」あるいは「カヤオの」という意味なのである。「手と同じように足を使う」と言われたカヤオのアフリカ系の人びとの「足技」は、南米の西海岸の町々でよく知られていたという。

※第2回につづく

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