大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第54回「自転車か『チリ女』か」(前編)の画像
サンパウロ「サッカー・ミュージアム」にある展示パネル。「最初のゴールはレオニダス、発明者はペトロニーリョという説も」と説明されている。(サンパウロ市Museu do Futebolより)

スタジアムの大輪の華といえば、誰もがあこがれるあのキック。翼くんは小学生のときにマスターしたけれど、リアルの世界ではなかなかそうはいかない。それに恋焦がれて練習を重ね、もし習得することができたとしても、実際の試合で披露することなく引退の日を迎えるのが普通のサッカー人生というもの。そう、それがオーバーヘッドキックだ。

■オーバーヘッドでの最初のゴール

 ブラジルのサンパウロの都心部(といっても、都市が巨大過ぎてどこが都心なのかよくわからないが)にパカエンブーというスタジアムがある。1950年のワールドカップの会場としてサンパウロ市が建設したもので、その後はサンパウロFC所有のモルンビ・スタジアムとともにこの南米随一の大都市のサッカーの中心となってきた。

 長年このスタジアムを使用していた人気クラブ、コリンチャンスが2014年に新スタジアム完成とともに移転した後もさまざまなイベントに使用されているが、平日でもここを訪れる人がたくさんいる。お目当ては、ブラジルと世界のサッカーの発展の様子を世界史の変遷とともにたどることができる素晴らしい展示のある「サッカー・ミュージアム」だ。

 その一角に、「ビシクレッタ(自転車)」、すなわち「オーバヘッドキック」を連続のイラストで紹介するパネルがある。英語でも「バイシクルキック」は、オーバーヘッドキックの別名である。それによると、このスペクタクルなテクニックでゴールを決めた第1号は、1931年、ブラジルの伝説的な英雄であるレオニダス・ダ・シルバだったという。またブラジルのあるサッカー史研究家は、1920年代から30年代にかけて活躍したペトロニーリョ・デ・ブリトがこの技術の発明者であるとしているという。

 かつて(いまでもそうだろうか?)、オーバーヘッドキックは誰もがあこがれる最高クラスのサッカーテクニックだった。私がこの技を知った高校生時代には、ブラジルの「至宝」ペレのテクニックとして知られ、彼の鮮やかなオーバーヘッドキックの写真を雑誌で何度も何度も見返した記憶がある。そういえば、ペレやボビー・ムーアなどが出演した映画「勝利への脱出」では、クライマックスでペレが見事なオーバーヘッドキックを披露していた。

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