■もうひとつのオーバーヘッド正史

 というわけで、パカエンブーのサッカー・ミュージアムで「ビシクレッタ」の解説文を読んだときも、「なるほど、発明者はブラジル人か……」と、違和感はなかった。しかし待てよ。アルゼンチンでは、たしか別の名で呼ばれていたはずだ。調べてみると、ブラジルを除く南米各国、すなわちスペイン語圏の国々では、まったく違う歴史が語られていることがわかった。このテクニックの名も、ブラジル人がいう「ビシクレッタ(自転車)」ではなく、「チレーナ」、直訳すると「チリ女」というのである。

 ウルグアイ人作家エドゥアルド・ガレアノが書いた『スタジアムの神と悪魔~サッカー外伝』(みすず書房)によると、オーバーヘッドキックの発明者はチリ人MFのラモン・ウンサガだったという。彼が最初にこのテクニックを披露した日付も場所もわかっている。1914年1月16日、場所はチリの中南部、コンセプシオン市の「外港」があるタルカウアノ(タルカワノ)市の「エル・モーロ」と呼ばれるスタジアムである。

 スペインのビルバオで生まれた「バスク人」のウンサガは、14歳のときに家族とともにタルカウアノに移住し、後にチリ国籍を獲得、18歳のときに地元クラブと契約した。当時のチリのサッカーはアマチュア時代で、会計士としての仕事ももっていたという。彼はいわゆる「スーパーアスリート」で、どんな競技もこなす飛び抜けた身体能力の持ち主だった。タルカウアノの人びとは彼が見せた驚きのテクニックを「チャラカ」と呼んだという。

 やがてチリ代表に選ばれて1916年にアルンゼンチンのブエノスアイレスで開催された第1回のコパアメリカ(南米選手権)に出場、攻守両面、すなわちクリアのときにもシュートにもオーバーヘッドキックを披露して大喝采を浴びた。そしてアルゼンチンのメディアはそのテクニックを「パターダ・チレーナ(チリ式キック)」と名づけ、「チレーナ」だけが残ったのである。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4