■机に向かって12時間の重労働
「石器時代」にはどうだったのか――。私がこの仕事を始めたころからJリーグ時代になる前まで、すなわち日本サッカーリーグ(JSL)時代には、記者会見などなかった。試合後、チームのロッカールームの前で監督をつかまえ、みんなで囲んで話を聞くという形だった。記者が少ない試合なら、数人で話を聞くということもしばしばだった。監督との話が終わると、どかどかとロッカールームにはいり、着替え中の選手をつかまえて話を聞いた。
だが、過去半世紀での「サッカー記者」の仕事の最大の変化は、机の上から「原稿用紙」が消えたことだろう。代わって机上に鎮座するのは、ノートパソコン様である。
学校の「作文」では、まだ原稿用紙が使われているのだろうか――。欧米のジャーナリストたちがタイプライターをマシンガンのように叩いて原稿を書くなか、日本人記者が原稿用紙にペンを走らせている姿は、ワールドカップのメディアセンターではとても奇異に映っていたに違いない。ある人はさらさらと、また別の人は1マスずつ力強く、カクカクした文字(漢字)やクネクネした文字(平仮名)で埋めていく。それ自体が、大変な作業だった。
雑誌4ページ分の原稿は、400字詰めの原稿用紙でだいたい20枚。私が勤めていた出版社では200字詰め(20字×10行)の原稿用紙(「ペラ」と読んでいた)を使っていたから、40枚。書き上げるとかなりの厚さになる。人によって書くスピードはさまざまだが、私の場合、単純にこの分量を書くだけで4時間はかかった。そして右手がとても疲れた。ほとんどの場合、「下書き」をしてから「清書」をした。書くことがある程度整理されていても、下書きには、ああでもない、こうでもないと清書の2倍以上の時間がかかったから、少なくとも12時間の重労働である。