■「当時の韓国は本当に調子が悪かったね」

―とんでもない奴ですね。

大住「誰が言ったかは分からなかったけど、聞こえよがしに言われちゃってさ。ワールドカップに出ると考えたら、もう1試合あるわけだから。たしかにこんなところで喜んでちゃいけないわけだけど」

後藤「韓国にコテンパンにやられてワールドカップに出るより、ワールドカップに出れなかったけど韓国に完勝したほうが良いよ」

大住「あれでイラク戦も勝って、もし日本がワールドカップに行って、韓国が行けなかったら、2002年のワールドカップは日本単独開催だっただろうし、のちの韓国サッカーは厳しい時代を迎えていたと思うけど」

(※日本は最終戦のイラク戦、2対1でリードしていた後半ロスタイムに同点に追いつかれ、得失点差でサウジアラビア、韓国に次ぐ最終予選3位となり悲願のW杯初出場を逃す。ドーハの悲劇として知られる)

後藤「あの時の韓国は、なんでこうなっちゃったの、ってくらいおかしくなっていたんだよね。コ・ジョンウン(高正云)がディフェンスをやっていたりさ」

大住「そうだよね」

後藤「あれがなんでなんだか、結局理由がわからなかった。日本の方はラモスが中盤の後ろの方でプレーするんだけど、韓国はラモスがいなくなって、どこまでマークについて行っていいんだか分からなくて、大混乱に陥った。

 ラモスのポジションはオフトが意図的にやっていたことなんだけど」

―それは混乱を狙って?

後藤「そうそう。森保一が出ていなくて、ラモスがそのポジションをやっていたんだよね」

大住「あの試合に負けたことで、韓国の国内はものすごく落ち込んだんだよね」

後藤「韓国の人は昔からサッカーを分かっているから、見てたら、ひどい負け方をしたのは分かってたよね。たまたま負けたんじゃない、っていう事が彼らは分かるから」

大住「あの予選は、サウジアラビアとやって引き分けて、次にイランとやって負けて。もうどうしようもない、最下位になったところからスタートしたから。そのあと北朝鮮に3対0で勝って、次が韓国で。そしたら1試合を残して1位になっていたからね。そんな状況もあって」

―このドーハで、真剣勝負という状況で韓国に勝ったという実感があった。

大住「日韓定期戦や親善試合では何回か勝っている。74年の定期戦は4対1だったし、79年の定期戦は2対1で勝った。だけど74年の時は、韓国はアジア大会で上のほうまで行って、帰ってきてすぐに日本に飛んで、明らかに疲れ切っていた。日本はアジア大会で早々と負け、テヘランでしっかり休日をとって帰ってきたから、コンディションの差が大きかった。

 明らかに韓国に勝っていたと思えたのは、ドーハの試合が始めてだったな」

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