■「その瞬間」を大韓蹴球協会のビルの中で迎えるために
だいたい、海外で観光客相手に日本語で声をかけてくるのは怪しい奴に決まっています。しかし、当時の僕は韓国語をほとんど話すことができませんでしたから、「案内人がいた方が便利だなぁ」と思ったのです。それで、そいつに付いていくことにしました。もし、そいつが本当に詐欺師だったら途中で逃げればいいわけです。
で、景福宮の中を見て、それから彼が自分が通っているという国民大学校を案内してくれました。研究室の中で教授に親しそうに挨拶していたので、ここの学生だというのは本当だったのでしょう。
途中で、「名刺をくれ」と言うので1枚渡しました。すると、「これまでこんな人と出会ったことがある」といって、日本人の名刺を何枚も見せてくれたのです(かなり、怪しい)。
で、市内を歩いているうちに暗くなってきました。
そいつは僕を土産屋に連れていきます(ますます、怪しい)。僕が何も買わないでいると、今度は清涼里(チョニャンニ)あたりの酒場に連れて行きました。“やり手”のおばさんと、ケバい姉ちゃんたちがいる店でした(間違いなく、怪しい)。
というわけで、ちょっと酒を口にして「気分が悪いから」といって、強引に外に出てタクシーを拾ってホテルまで帰ったというわけです(高い酒代を多少は取られましたが、まあ半日案内をしてもらったチップと考えれば損はしていません)。
さて、2002年大会の開催国は1996年6月1日のFIFA理事会で決定することになっていました。
僕は、「その瞬間」を大韓蹴球協会のビルの中で迎えようと思って再び韓国を訪れました。彼らががっかりするところを見たかったからです(もっとも、僕は日本の勝利が難しいだろうことはうすうす承知していましたが)。