後藤健生の「蹴球放浪記」連載第50回「まだ、ここで商売してたのね」の巻の画像
韓国対シュトゥットガルトのADカード 提供:後藤健生
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日韓戦が近づいてきた。かつては、ファンを含めてサッカー関係者はひんぱんに韓国を訪れたものだ。そんなある日、ベテランジャーナリストはソウルの街で声をかけてきた怪しい人物の誘いに乗ってみたのだった。

■怪しい男の誘いに乗ってみた

 1996年、日本と韓国は2002年ワールドカップ招致に向けて最後のデッドヒートを繰り広げていました(韓国では「招致」ではなく、「誘致」という言葉を使っていましたが)。

 その年の4月中旬のことです。

 僕はソウルを訪れて大韓蹴球協会の幹部連中に話を聞いていました。実は、韓国の人たちも最初は「2002年大会は日本で決まり」と思っていたそうです。ところが、蹴球協会のチョン・モンジュン会長(FIFA副会長)が「一応、韓国も立候補しておけば、スタジアム整備などに政府の予算が回ってくるかもしれない」と言い出して、立候補することにしたんだそうです。その後、チョン・モンジュン会長はその政治的なセンスを発揮して、2002年大会誘致問題を「アヴェランジェ会長対ヨーロッパ勢」の対立と結びつけることで“大接戦”に持ち込んだというわけです。

 そんなある日、僕は景福宮(キョンボックン)を散歩していました。

 14世紀に朝鮮王朝が漢陽(ハニャン=現在のソウル)を首都に定めて建設した王宮です。かつては国立博物館(旧朝鮮総督府、後に韓国政府庁舎)の巨大な建物があって、景福宮はその後ろに隠れていました。日本人がソウルの街の風水を断ち切るために建設した(と、韓国の人たちは思っています)醜悪な建物は早く壊してしまいたかったのですが、非常に頑丈な構造だったのでなかなか取り壊しができず、ようやく1996年に解体工事が終わろうとしているところでした。

 その景福宮の一番奥まったあたりを散歩していると、1人の若者が日本語で声をかけてきました。歴史を専攻している大学院生だと名乗って「案内しようか」と言うのです。

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