■「このサッカージャーナリストを知っているか?」
福岡の「博多の森」でキリンカップのメキシコ戦を見てから、高速艇で釜山に向かい、高速鉄道でソウルに向かいました。
「その瞬間」の前日、5月31日には水原(スウォン)の古いスタジアムで「2002年ワールドカップ誘致祈願国際蹴球大会」と称して韓国代表とシュトゥットガルト(ドイツ)の試合が行われ、激しい点の取り合いの末に4対3でシュトゥットガルトが勝利しました。
そして、その試合の最中に「『共同開催』が決まった」というニュースが入ってきたのです。
FIFAのジョアン・アヴェランジェ会長はずっと日本開催を支持していました。しかし、同会長に反対するヨーロッパ勢が韓国を支持しており、しかもアフリカ諸国まで抱き込んだため、投票になれば韓国が選ばれ、そして自身の権威が失墜することになります。それで、アヴェランジェ会長が投票前日に“寝返って”日本側に共同開催を受け入れるように迫ってきたので、日本側がやむなくこれに同意したのです。
というわけで、僕は「その瞬間」を見ることができず、結局、大韓蹴球協会のチョン・モンジュン会長がソウルの金浦(キンポ)空港に凱旋する瞬間と祝賀パーティーを取材することになったのです。
それから、まるまる2年が経過しました。その間にフランス・ワールドカップ予選のドタバタがあって、日本はジョホールバルで行われた第3代表決定戦でイランを破ってようやくワールドカップ初出場を決めました。
そのワールドカップの直前の1998年4月1日には「2002年ワールドカップ共同開催記念 韓・日親善競技」という試合がソウルで行われました。日本はワールドカップ予選のアウェーゲームで韓国に勝ち、1998年3月にはダイナスティーカップでも韓国を破っていますから(横浜国際総合競技場=日産スタジアムのこけら落としの試合です)、2連勝でこの試合を迎えました。
韓国としては、さすがに3連敗はできないでしょう。前半は韓国がリードし、後半、中山雅史のゴールで同点になりましたが、72分に黄善洪(ファン・ソノン)がボールを浮かせて叩く技巧的なボレーシュートを決めて韓国が無事に勝利しました。
で、この時も、僕は景福宮の中を散歩していました。「そういえば、2年前はここで変な奴に出会ったなぁ」と思って歩いていると、2年前とまったく同じ場所で日本語で話しかけてくる若者がいるではありませんか!
そう、同じ奴です。しかし、あちらは僕の顔を覚えていないようです。「サッカーの試合できたのか。そういえば、2年前にはサッカージャーナリストをしている後藤という人を案内したことがある」と言って僕の名刺を取り出すのです。
「有名な人なんでしょ?」と言うので、もちろん「そう、誰もが尊敬する日本で一番の素晴らしいジャーナリストですよ」と答えておきました。
その後も、景福宮には2、3回行ったことがありますが、彼にはそれ以来一度も出会っていません。