■焼肉店が営業していた
僕はとりあえず原宿駅に行ってみることにしました。電車は止まっているでしょうが、交通機関の情報などが分かるかもしれないと思ったのです。事実、電車は止まっていました。そして、駅に設置してあるテレビ・モニターには押し寄せてくる巨大津波の映像が映し出されていました。僕は、そこで初めて、とんでもない災害が起こったのだということを知りました。もちろん、その時は、福島第一原子力発電所でどんな恐ろしいことが起こっているのかということは知る由もありませんでしたが……。
さて、電車は動かないようなので、僕はとりあえず西に向かって歩くことにしました。僕は、東京23区の北西の端にある練馬区に住んでいたからです。
すると、中野駅行きのバスがやってきたので、とりあえず乗車しました。
僕はバスの前扉から乗車して最前部に立っていました。停留所で乗車しようとする人がいると、運転手が「後方のドアから乗ってください」とアナウンスしています。満員なので前からは乗車できないからです。
東京23区内のバスは「前乗り後降り」で乗車するときに運賃を払います。もちろん、僕も乗車するときに運賃を払いました。で、僕は「あっ、しまった。後ろから乗れば運賃を払わないですんだのになぁ」と不埒なことを考えていました。
そのうち、バス停に止まるたびに後ろの扉から降車した人が何人も「乗るときに運賃を払っていなかったから」と言って、運賃を払うためにわざわざ前扉まで回ってきたのです。
驚きの光景です。自分の不埒な考えを反省する前に、僕は「日本人ってなんてすごい人たちなのだろう」と感心しました。普通の国だったら、大災害が起きれば略奪騒ぎが起こるのが普通だろうに、この国の人々はわざわざバスの運賃を払うために前の扉までやって来るのです!
バスは渋滞にはまりながらなんとか中野駅に到着しましたが、バスターミナルはごった返しているので、これ以上バスを乗り継ぐことは不可能なようです。
そこで、僕は練馬区の自宅まで歩くことにしました。中野駅からは10キロはないはずなので、十分に歩ける距離です。
車道は渋滞していましたが、都内の道路には電柱が倒れているとか、亀裂が走っているといった被害はありませんでしたし、火災も起こっていませんでしたから、2時間弱で家の近所までやって来ましたが、歩いたので腹ペコでした。
そうしたら、焼肉屋が営業していたので入ってみました。
店はガラガラでした。「万一、余震で揺れた場合は火は自動消火になっていますから、そのまますぐに避難してください」と店員に言われ、僕はゆっくり焼肉を食べてから帰宅したというわけです。
「いざという時には、このくらいで歩いて帰れる」ということが分かったのは大きな収穫でした。もちろん、首都直下型地震などに襲われた場合には、道路は歩けなくなっているはずですが……。
震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。