■霧雨が続く秋の土曜日
もうひとつの幸福な思い出は、まるで絵画のようであり、詩のようでもある。
私の学校は敷地が広く、サッカーグラウンド、野球グラウンドなど種目別のグラウンドがあった。そのなかで学校が最も大事にしていたのが、1周300メートルのアンツーカーのトラックのついた陸上競技場だった。もちろん、陸上競技部が部活動に使っていたが、このグラウンドは学校の「顔」でもあった。校舎の前面いっぱいに広がり、フィールド部分の芝生が厳格に管理され、春から秋にかけて緑がとても美しかったからだ。サッカーグラウンドも最初は芝生だったが、練習熱心なサッカー部員のせいですぐに土だけになった。プレーすると、晴れた日でも土ぼこりだらけになるので、休み時間にグラウンドまで行ってサッカーをする気にはなれなかったのだ。
学校の「顔」である陸上競技場は、1年にいちどの体育祭で父兄を迎えるため、校舎側には、コンクリート打ちっぱなし、3段の観客席まであった。フィールドの芝生は、体育祭時に最高の状態にするため、通常は「立ち入り厳禁」だった。
ある初秋の日、霧雨が降り続く土曜日の午後だった。私たちは、どろんこになりながらサッカーの練習をしていた。ところが私のシュートは大きく外れ、ゴールの背後にあったネットも超えて、隣の陸上競技場にはいってしまった。いつもならボールを拾って返してくれる陸上競技部員は、きょうは練習が休みなのか、誰もいない。当然、私がボールを拾いにいかなければならない。サッカーのスパイクをはいたまま、アンツーカーのトラックをほじらないよう、そうっと歩いて芝生のフィールド内にはいった。その瞬間、自分の足から伝わってきた感覚に驚いた。
芝生は、まさに「緑のじゅうたん」だった。サッカーシューズの硬いソールとスタッド越しに、心地良いクッション感が伝わってくる。生まれて初めての、素晴らしい感触だった。短く刈りそろえられた芝は霧雨に濡れて緑がよりいっそう輝き、まるでその上に浮くように無骨なサッカーボールが静止していた。