■昼休みこそがパラダイス

 極端に言えば、私の場合、学校に行く最大のモチベーションはこのゲームにあった。朝礼前にもゲームをするために、私は始業20分前には学校に着くように家を出た。高校の3年間を通じて、欠席どころか、遅刻もいちどもなかったのはこのゲームのおかげだった。

 そして昼休みこそ、私たちの1日のハイライトだった。30分間近くプレーできたからだ。私たちは弁当を3分間でかき込み(私の「早食い」の習慣はこのころできた)、誰よりも早く中庭に出てゴールを確保し、ゲームを始めた。昼休み後の5限目、最初の10分間は、流れ出る汗を拭くことで費やされた。先生はきっと嫌な顔をしていただろう。

 ゲームに参加したのは、サッカー部員だけではない。当時には珍しく、私の学校はサッカーが盛んだった。バドミントン部員、テニス部員、新聞部員など、さまざまな部活動の連中が参加していた。バレー部員はヘディングの名手だった。空中での姿勢がうっとりするほどきれいだった。バドミントン部員はボレーキックの名手だった。ある軟式テニス部員は、3年間のこの「中庭サッカー」で「足」を磨き、ある国立大学に進学するとサッカー部にはいり、全日本大学選手権にも出場、4年次にはキャプテンにまでなった。

 誰もが、それぞれの得意技をもっていた。そして短い時間のなかでそれをいかに表現するかを競った。そうしたプレーができた者は、本当に幸せそうな顔をしていた。いや、得意なプレーができなくても、声をかけ、大笑いし、私たちはみんな幸せだった。

 思い起こすと、サッカー部の同学年部員のなかではいちばんの下手くそで、「最下層」の選手だったのに、私が高校を卒業するまでサッカー部をやめずに続け、気がつくと、その後の人生をサッカー一色にしてしまったのは、高校時代のこの「幸福感」の思い出があったためだったのではないか――。

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