誰が「中止」「再延期」を言い出すのか。東京オリンピック・パラリンピックの通常開催は不可能であり、無観客であっても開催が難しそうだということは、スポーツ関係者も政府関係者も当然分かっているはずだ。ところが組織委員会の森喜朗会長は先日、「どんな形になろうと、必ずやる」と明言した。政府からもスポーツ界からも異議は出されていない——。
■まずスポーツ界から言い出すべきではないか
日本の政府や東京都の関係者にとっても、せっかく巨額の資金を投入して準備を重ねてきた東京大会は何としても開催してその経済効果によって、パンデミックによって低迷している景気のV字回復につなげたいという気持ちもあるだろう。
だが、IOCやFIFAとは違って、もし大会開催を強行した結果、感染の再拡大が引き起こされてしまったりしたら、経済効果どころか再び経済の収縮に見舞われてしまうのだ。
通常開催は不可能であり、無観客であっても開催が難しそうだということは、スポーツ関係者も政府関係者も当然分かっていることだ。
だが、そこで問題になるのは誰がそれ(中止または再延期)を言い出すかという問題である。「“悪者”にはなりたくない」というのがすべての関係者の正直な気持ちだろう。日本側の立場から言えば、IOC側が「中止」を言い出してくれれば、交渉によって2032年大会の開催を認めさせることができるかもしれない。
互いの思惑があって、誰も言い出せない。その間に、時間だけが経過して、そして、開催準備のために必要な追加費用が増えていってしまう。
しかし、「中止」、「再延期」するのであれば、一刻も早く決定した方がいい。少しでも、無駄な出費を減らすことができるし、公費を新型コロナウイルス感染症への対策に回すこともできる。
また、東京大会の中止、再延期によって大きな打撃を受ける競技に対してもしっかりと助成しなければならない。サッカーや野球にとっては、オリンピックはさして重要な大会ではない。むしろ、Jリーグやプロ野球にとっては、東京大会期間中にシーズンを中断せざるを得ないなど“迷惑”な部分もある。
だが、オリンピックの時にだけ脚光を浴びるマイナー競技にとっては、東京大会の中止、再延期のダメージは計り知れないことだろう。こうした競技には、公費を投入する必要がある。その資金を確保するためにも、東京大会の中止、再延期は早く決める必要があるはずだ。
望ましいのは、スポーツ界の誰かが「諸般の事情を考えて、この際は残念ながら中止すべき」と言い出すことだ。それでこそ、スポーツ界がパンデミック終息後の社会においてその地位を保つことができるのではないか。