■政治に翻弄されてきたスポーツ界の歴史

 1980年のモスクワ・オリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する批判を強めるアメリカのレーガン政権の意向で各国にボイコットを迫った。日本政府はこれに追随して、日本もオリンピック・ボイコットに踏み切ることになり、多くの選手が活躍の場を失ってしまったのだ。現在のJOC(日本オリンピック委員会)の山下泰裕会長もその一人だった。

 自主財源を持たないスポーツ界は政治に従属せざるを得なかったのだ。そして、その時の反省を受けてJOCは日本体育協会から独立することになった。

 1940年に開催されることになっていた東京オリンピックも、政治に翻弄されて返上に追い込まれた。

 1937年7月の盧溝橋事件が発端となって日中戦争が始まり、戦争の激化によって軍部がオリンピックへの協力を拒否し(警備のためには軍の協力は必須だったし、軍所属の選手も多かった)、政界でもオリンピック反対論が高まり、ついに日本政府が返上を決定したのだ。

 1940年大会も、その40年後の1980年大会も、スポーツ界は政治に屈服してオリンピックを諦めたのだ。それからさらに40年後の2020年大会も、新型コロナウイルス感染症の拡大という状況を受けて、政治的決定によって中止を余儀なくされるのだろうか。

 それよりも、スポーツ界の意思として「中止」または「再延期」を決めるべきなのではないか?

 僕は、東京大会の開催は難しいだろうと思う。そして、それなら「中止」、「再延期」の決定は一日でも早い方がいいと思う。問題は、誰がそれを言い出すのか、だ。「誰が東京大会という名の猫に鈴を付けるのか」。

 もし森会長の発言がきっかけになって、「中止」「再延期」が決まったとすれば、これは森喜朗という人物にとって、その生涯で最大の社会貢献ということになるのかもしれない。

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