円熟期を迎えたアイントラハト・フランクフルト長谷部誠のプレーが素晴らしい。「酸いも甘いも噛分ける」という慣用句がある。さまざまな経験をしているから、どんなことが起こっても落ち着いて対処できる、という意味だ。本職のボランチだけではなく、最終ラインに入っても頭脳的なプレーで守備をつかさどり、チームの攻撃のほとんどの起点となっている、まさに現在の長谷部のプレーの境地にふさわしいではないか。願わくは、ブンデスリーガで披露するそのサッカーを、ぜひ日本サッカーに伝えてもらえないだろうか——。
■名手バレージを彷彿させるゲームを読む力
長谷部はフランツ・ベッケンバウアーに譬えられて「カイザー」とも呼ばれることもある。たしかに守備的なポジションでプレーする選手であり、また優雅な立ち居振る舞いが、ドイツ人にとってはベッケンバウアーを思い出させるのであろう。
だが、僕は長谷部が周囲に指示を与えながら優雅にプレーし、攻守にわたって最も重要なポジションに顔を出して仕事をしている姿を見ると、イタリアのDFフランコ・バレージを思い出すことが多い。
1980年代後半から90年代前半にかけて、アリゴ・サッキが築き上げたACミランの守備の要であり、ACミランで何度もヨーロッパ・チャンピオンズカップを獲得し、1994年のアメリカ・ワールドカップではひざを負傷しながら、内視鏡手術を受けて決勝戦で戦線に復帰。強力なブラジルの攻撃を封じ込めてスコアレスドローで終え、準優勝に輝いた(バレージ自身は優勝を決めるPK戦で1本目を蹴って失敗したのだが……)。
身体能力が高いわけでもなく、サイズがあるわけでもなく、スピードで勝負するわけでもない。バレージはゲームを読む能力を駆使して世界を極めたのだ。
相手の選手のちょっとしたポジションの変化も見逃さず、常に最良のポジションに自らを置き、周囲の選手を意のままに操って相手のパスコースを切ってパスを分断してしまう。そして、最後の砦として決定的な場面に顔を出して身を挺してゴールを守る。
トヨタカップという大会があったおかげで、僕たち日本人はACミランでのバレージのプレーぶりを毎年のように生で見ることができたし、1990年のイタリア・ワールドカップ準決勝でディエゴ・マラドーナとの丁々発止の勝負も目撃できたし、そしてアメリカ大会でのバレージの姿も僕の目に焼き付いている。
最近の長谷部を見ていると、僕はそのバレージの老獪なプレーを思い出すのである。