大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第38回「放浪しない蹴球記」の画像
1997年、ワールドカップ予選の最中に訪れたウズベキスタンのサマルカンド。右端に背中が映っているのは『サッカー・マガジン』時代からの「相棒」であるカメラマンの今井恭司さん。(c)Y.Osumi
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フリーランスの旅の流儀はさまざまだ。同じ試合の取材が目的でも、そこにたどり着くまでの経路も宿泊する宿も食事も千差万別、共通するのはお財布事情が寂しいことぐらい。それぞれが懐具合にあわせて精いっぱいの工夫をこらして、サッカー旅の充実をはかっている。だから、つまんね〜ヤツだなあ、と言うことなかれ。

取材の合間の観光旅行

 毎週金曜日の夜、ピンクの服を着たデカ頭の女の子が出てくるテレビ番組を見ていると、私はつくづく自分が「つまんね〜ヤツ」だなあと思ってしまう。そして私と同じようにこの番組が好きだという後藤健生さんの『蹴球放浪記』を読むと、さらに自分のことを「つまんね〜ヤツ」と思ってしまうのである。

 ピンチに陥るたびに発揮される後藤さんの数々の機転は、『水戸黄門』さえ思わせる。その一方で、お酒の失敗話には、笑っていいのか、少し困惑してしまう。アルコールがまったく飲めず、その点ではまったく共感できない私なのである。

 波乱万丈の後藤さんの旅と比べると、私はまったく「つまんね〜旅人」だ。サッカーの取材で海外にも数多く行ったが、後藤さんとは違い、きちんと計画をたて、大半はサッカーの取材だけで帰ってくる。だから「旅」と言うより、「出張」と言うほうが正しい。実際、旅程などを編集者や知り合いに知らせるときには、「出張予定」と標題をつける。

 もちろん、私も世界のいろいろなものに興味はあるし、見てみたい景色や歴史遺産などもたくさんある。タイミングさえあえば、試合地より少し離れていても、車をチャーターしたり旅行の計画を立てて取材の間に組み込もうと思う。

 1997年秋、あの「生きるか死ぬか」の雰囲気さえあったワールドカップ予選の最中には、カザフスタンから移動してから次のウズベキスタン戦まで1週間の時間があったのを利用し、サマルカンド旅行を計画した。タクシーをチャーターし、数人で行くつもりだったのだが、話を聞いたフリーランスの記者やカメラマンが「いっしょに連れていってくれ」と言ってきて20人近くになったため、手配をガイド付きの小型バスに切り替えなければならなかった。

 2011年のタジキスタン遠征のときには、帰国の飛行機が試合の翌々日だったため、後藤さんを含む4人で「世界一」と言われるヌレークダムを見に行ったし、その2年後、ドーハでのカナダとの親善試合の4日後にヨルダンとのアウェーゲームが組まれていたときには、日本代表より2日早くアンマンにはいり、かねてから見たいと思っていたペトラ遺跡に行くことができた。このときも後藤さんがいっしょだった。2015年にシンガポール、カンボジアとアウェー連戦になったときには、1泊でアンコールワットの観光に行った。これはひとりだった。

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