Jリーグの自殺点第一号

 日本ではずっと「自殺点」と呼んでいた。だが「言葉のイメージが悪い」と、日本サッカー協会は1994年に「オウンゴール」と呼ぶことにした。和製英語の「ロスタイム」を国際的に通じる「アディショナルタイム」にしたのとは少し理由が違うが、字数を限られた新聞記者たちにとっては、どちらも同じように由々しき事態だった。だが、どんな名称で呼ばれようと、ボールを自分のゴールに入れてしまうというのは、プレーヤーにとって悪夢のような瞬間だ。

 Jリーグの「自殺点第1号」(1993年のことだったから、まだ「自殺点」だった)は、当時横浜マリノスと日本代表の守備の中心だった井原正巳である。5月29日、三ツ沢球技場にジェフユナイテッド市原を迎えた試合。前半38分、右(横浜Mから見て左)から市原の中西永輔が入れたライナーのクロスに対し、ゴールエリアの左角あたりにポジションをとっていた井原が反応し、ゴールライン方向に跳んでダイビングヘッドでクリアしようとした。しかしクリアしきれず、ボールは矢のような速さで自陣ゴールに吸い込まれた。この試合、横浜Mは後半にも3失点を喫して0-5の大敗。井原の失望は大きかった。

 シュートが相手選手に当たってゴールに吸い込まれることはよくある。だがどれをシュートした選手のゴールとし、どんな場合をオウンゴールにするのか、明確な基準などなかった。サッカーはチーム同士で得点数を争うゲームであり、誰が得点したかということは本質を離れた二次的なことだからだ。

 しかし大会で得点王を表彰するというようなことになると、サッカーの管轄組織も考えざるを得なくなる。国際サッカー連盟(FIFA)は、1997年に機関誌の誌上でイラストを何枚も使ってこの「線引き」の基準を示した。しかし現時点でもなお、国によってさまざまな形でオウンゴールが認定されている。

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