■平面的視野を俯瞰像に組み立てなおす

 彼を際立たせる「天才」としての側面は、「職人」としての技術の高さの上に立脚する。ボールを止める技術が完璧で、止めるときにも次にけるときにも顔を上げていられるから広い視野が得られる。そして憲剛はその両目からはいった情報を、彼の右足から放たれる決定的なスルーパスとしてアウトプットする。

 普通の人間は、ものを見ようとすると、視野のなかの1点にしか焦点を当てられず、他のものを意識に残すことができない。しかし憲剛は見たことを広い面をもった映像として記憶する。そしてその「1秒後」をも予測し、映像化するという。パスを出してボールが届くまでに味方も相手も動き、その関係性は変わってしまっている。憲剛のパスは、そこまで考えてのものなのだ。

 1979年、ディエゴ・マラドーナを初めて見たジャーナリストの賀川浩さんは、「上空に自分用の“偵察衛星”をもっているのかと思うほど」と表現した。いわゆる「俯瞰的視野をもったプレーヤー」とは、実際の映像ではなく、人間の背の高さからのいわば「平面的視野」を自らの「頭脳」で俯瞰像に組み立てる能力を指す。違う言葉で言えば「想像力(イマジネーション)」である。実際には人が重なって見えるだけだ。しかしこうした頭脳の持ち主は、その重なりの間にある「すき間」を見つけ出す。古くは木村和司、現在のJリーグでは、遠藤保仁、そして憲剛がそうした能力を身につけ、大きな武器にしている。

 そして「正解のないスポーツ」と言われるサッカーのなかで、唯一、正解がひとつだけの、「タイミング」というやっかいな魔物を、憲剛は完全に飼いならしている。サポートのタイミング、そして決定的なパスを出す瞬間を、憲剛はけっして過たない。これこそ、憲剛に「神が舞い降りる」瞬間なのだ。完璧なタイミングで憲剛がボールに触れることによってチームの攻撃に秩序が生まれ、観客がはっと息をのむコンビネーションプレーが誕生する。憲剛の「職人」がその足にあるとしたら、彼の「天才」は、その「頭脳」のなかにあるのである。

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