後藤健生の「蹴球放浪記」連載第26回「錆びついた鉄のカーテン」の巻の画像
ハンガリー対ルーマニアの記者席入場券 提供:後藤健生
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青きドナウ川が美しいブダペストからの移動に長時間バス旅行を選んだ後藤さん。恋愛の本場ミラノまでの道のりには、目には見えない堅牢な壁が立ちはだかっていたのだった。

■ハンガリーはなぜ弱体化したのか

 前回は2001年の「9・11」同時多発テロの時のお話でしたが、今回はその直前にハンガリーからイタリアまでバスで行った時の話です。

 ハンガリーではワールドカップ予選のハンガリー対ルーマニア戦を見ました。場所はブダペストのネプ・シュタディオンです。

 ハンガリーといえば、1950年代前半の「マジックマジャール」のことは若い読者の皆さんも聞いたことがあるでしょう。1950年6月から4年間国際試合で無敗、28勝4分という驚異的な戦績を残したハンガリー代表のことです。そして、初めて敗れたのが1954年ワールドカップ決勝の西ドイツ戦でした。

 また、僕がサッカーというスポーツを初めて観戦したのは1964年10月の東京オリンピックでハンガリーがモロッコを6対0で破った試合でした。そして、ハンガリーは東京、メキシコと2大会連続でオリンピックで優勝。メキシコで日本代表は銅メダルを獲得しましたが、準決勝ではハンガリーに0対5で大敗しています。だから、僕はハンガリーあるいはその本拠地であるネプ・シュタディオンにはずっと憧れのような気持ちを抱いていました。

 ところが、その後ハンガリーはすっかり弱体化してしまっており、2001年のこの試合も0対2で完敗。ネプ・シュタディオンも老朽化しており、観衆1万2000人と実に寂しいものでした(スタジアムは最近全面改築されてプスカシュ・アレーナとなり、9月24日=日本時間25日早朝にはUEFAスーパーカップが行われた)。

 試合前やハーフタイムにボールボーイがピッチ上でボールを蹴って遊んでいたのですが、ボール扱いがまったく下手だったんです。代表戦でボールボーイをしているくらいだから、どこかのクラブでサッカーをやっているんでしょう。それなのに、こんなに下手だなんて! ハンガリーのサッカーが弱体化した理由が分かったような気がしました。

 さて、ルーマニア戦の翌日、バスでイタリアのミラノに向かいました。日曜日には15時開始のパルマ対インテルを見てから大急ぎで移動して、夜には20時30分からのミラン対フィオレンティナを観戦するという予定でした。ミラノまでの移動手段をバスにしたのはもちろん格安だったこともありますが、どうせ木曜日から土曜日までヒマなのだからバスの車窓から途中の景色でも楽しもうと思ったからでした。

 しかし、どうしても分からないことがありました。ブダペストを正午に出発したバスのミラノ到着予定は翌日の16時となっていたのです。28時間! しかし、直線距離では約700キロ。どうしてそんなに時間がかかるんでしょうか?

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