■ポケットにはいつも「菊の御紋」
理由はいくつもありました。まず、ハンガリー国内には当時ほとんど高速道路というものがなく、ブダペストからしばらく行くとずっと下道を通って行かなければならなかったんです。そして、バスはハンガリーからオーストリアのグラーツを抜けてイタリアの北東の端、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州に入るんですが、この辺りは山道ですから高速道路でも時間がかかります。さらに、バスはミラノ直行ではなく、イタリアに入ると高速を下りて各都市で客を降ろしながら進んで行くのです。
そして、ハンガリーからオーストリアに入る国境では2時間以上も停車しました。乗客全員を厳しく検査したからです。
当時すでに「シェンゲン協定」が発効していたので西ヨーロッパ各国間では国境検査なしで自由に通過できるようになっていました。ですが、ハンガリーのEU加盟は2004年のこと。東西ヨーロッパ間はまだ自由に行き来できなかったのです。
「鉄のカーテン」という言葉はご存知でしょうか? 第2次世界大戦後、ソ連が占領した東ヨーロッパ諸国に共産党政権が樹立され、西側諸国と激しく対立。国境の両側に両陣営の戦車部隊や戦術核兵器が展開され、東西の交流は途絶えてしまいます。その状態を、英国のウィンストン・チャーチル首相が「鉄のカーテン」と呼んだのです。
2001年当時、共産党政権は崩壊してすでに10年が経過していました。もう「鉄」は錆びて腐食してしまっていたんですが、それでもまだカーテンは下りたままだったというわけです。
国境では全員がバスから降ろされ個室に閉じ込められます。バスの車体もくまなく捜索され、乗客1人ひとりが呼び出され身体検査を受け、そして何枚もの書類を出して身元確認や移動許可証をチェックされます。実際、乗客40人ほどのうち3人は国境越えを許されませんでした。
さあ、僕の番です。係官の前に在アルゼンチン日本大使館発給のパスポート(連載「蹴球放浪記」第10回参照)を恐る恐る提示しました。すると、係官は表紙だけチラ見して中身はまったく見ずに「オッケー、次!」と言うではありませんか!
日本国旅券の威力とでもいうものです。2001年当時と比べて日本の国際競争力はかなり落ちてしまっていますが、ビザなしでほとんどすべての国に入れるという意味で、日本国旅券の威力は今でも健在です。
「え~い、控えおろう! この菊の紋所が目に入らぬか」というわけです。