川崎フロンターレを見て考える「パス・サッカーとは、このスポーツの本質である」(2)「サッカー史上最大の革命」の画像
フロンターレ川崎のパス・サッカーを支える大島僚太、旗手怜央、家長昭博 撮影:原悦生

※前編はこちらから

首位をひた走る川崎フロンターレの勝ちっぷりが気持ちいい。J2降格のない今シーズン、超過密日程もあって、多くのチームが5人に増えた選手交代を駆使して首位チームに挑んでくる。もちろん、分析しつくした戦術を駆使しての挑戦だ。受ける川崎は、遠慮のない攻撃サッカーでこれと真正面から相対する。若手選手がどんどん起用されていることもあり、めったにない見ごたえのあるシーズンとなった。本稿では、その面白さ、楽しさの本質に迫る――。

■サッカー史最大の革命が起きた

 1863年12月に各クラブによって区々(まちまち)だったフットボールの統一ルールを決めるための会議がロンドンで開かれ、そこで協会(フットボール・アソシエーション=FA)が結成され、そこで定められたのが新しいフットボールのルール、つまり「協会式フットボール」、「アソシエーション・フットボール」だった(その長い名称を略して「サッカー」という言葉が生まれた)。

 そこで、サッカーはラグビー派と袂を分かったわけだが、実際には当初のアソシエーション式ルールは、ラグビーのルールとほとんど違いはなかった。

 どちらもゴールにボールを入れたら1点という得点方法だったし、アソシエーション式でも飛んで来たボールを手でキャッチすることはできた。唯一の大きな違いは、ボールを手で抱えたまま走って前方にボールを運ぶこと(ランニング・イン)を認めるかどうか、だった。

 オフサイド・ルールも同じだった。それまでの多くのフットボールのルールと同じように、アソシエーション式でもボールより前方にいる選手は全員がオフサイド(当時の言葉なら「アウト・オブ・プレー」)であり、プレーに参加することはできなかった。今のラグビーと同じである。

 ボールをパスできるのはボールより後方にいる味方だけ。キックは、前に向かって蹴ってもいいが、前にいる選手はオフサイドだからプレーには参加できない。キッカーが前方に走って前方にいる選手をオンサイドにしていくか、キックした時点でボールより後ろにいた選手が走ってボールを追いかけるしかなかった。

 このあたりも、すべて今のラグビーと同じだ。

 だが、アソシエーション式のオフサイド・ルールは1866年に改正された。

 守備側のチームの後方から3人目(現行のサッカー・ルールでは「2人目」)の選手より手前にいる攻撃側の選手はオフサイドではなくなったのだ。

 これは、革命的なルール改正だった。これによって、前方の選手にパスをしてもよくなったので、人間が走るより速いスピードでボールを前に送ることができるようになったのだ。また、前にパスをしてもいいのだから、パス回しが難しくなった時にはいったんボールを後方に下げてから、再び前方に送ることも可能になった。

 だが、人間の意識や習慣というものは簡単には変わらない。オフサイド・ルールが変わっても、ドリブルやキック・アンド・ラッシュという戦法は廃れることがなかったのだ。

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