内田篤人の鹿島・シャルケ・日本代表 「最も輝いたフォーメーション」全公開の画像
2011年、欧州CLに挑むシャルケのイレブン  写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ
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 8月20日、内田篤人の引退が発表された。ラストマッチは、同23日のホームG大阪戦(カシマスタジアム)だ。

 2006年に鹿島でプロ入りしてから、14年の現役生活にピリオドを打つことになる。

 鹿島時代にはJリーグのベストイレブンに2度選出され、シャルケ時代には欧州CLでベスト4入りの快挙も果たした。日本代表としては、ブラジル大会・南アフリカ大会と2回のワールドカップ選出も含め、国際Aマッチ74試合に出場して2得点。日本人選手として稀有な成績を残したことになる。

 どのチームでも変わらず、内田のポジションは右サイドバック。そして。どのチームにおいても彼の輝きはピカイチだった。では、鹿島、シャルケ、日本代表で、それぞれ彼とともに戦ったメンバーは誰だったのか。振り返っていきたい。

 

 まず鹿島時代としては、欧州移籍前年の2009年シーズンを挙げたい。この年、鹿島はJリーグ史上初となるリーグ3連覇を達成。31試合に出場した内田自身も、2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。

 2009年の鹿島も、伝統の4-4-2を採用。2トップは、13得点のマルキーニョスと12得点の興梠慎三だった。また、控えにはプロ1年目の大迫勇也がいて、22試合3得点を挙げた。

 攻撃的MFは本山雅志と野沢拓也で、ボランチは小笠原満男を軸に、中田浩二と青木剛がいた。

 最終ラインは、右から内田、岩政大樹、伊野波雅彦、新井場徹。GKは曽ヶ端準だ。

 2010年に移籍したFCシャルケ04では、クラブ史上初めてとなる欧州CLベスト4入りを果たした10/11シーズンのメンバーを挙げたい。

 シャルケでもシステムは4-4-2。2トップの一角には、ラウル・ゴンサレスがいた。ラウルは、09/10シーズンまで所属していたレアル・マドリードから初めての移籍先にシャルケを選び、リーグ戦では34試合13得点とシャルケの攻撃陣をけん引した。また、ボランチとDFを務めることができたパパドプロスは、内田にとってプライベートでも仲のいい選手だった。

 DFヘベテス、DFメッツェルダー、GKノイアーとドイツ代表が3人も揃う守備陣に、内田はいた。ノイアーは現在、バイエルン・ミュンヘンとドイツ代表の正GKで、世界ナンバーワンGKの名を欲しいままにしている。

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