後藤健生の「蹴球放浪記」 連載第19回「世界で最も辛い食べ物は?」の巻の画像
日本対アメリカ戦の一般用入場券 提供:後藤健生
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サッカー観戦も好きだが、食べることも大好き。世界中の美味しいものを食べつくすべく、後藤さんの放浪記は1986年のメキシコから、20歳以下日本代表を追いかけて1999年のナイジェリアへ。「甘いもの」の次は、もちろん世界でもっとも辛いもの。

■後藤さん、中国人の鼻を明かす

 メキシコの「カモーテ」というサツマイモの砂糖煮こそ「僕がこれまでの人生で口にした中で最も甘い食物でした」と前回の「蹴球放浪記」の中で書きましたが、これは「気がする」程度の話です。他にも同じくらい甘いものがあったかもしれません。

 しかし、「最も辛い食べ物」の方の答えははっきりしています。「あれ以上辛い物はありえへん」と言い切れます。

 韓国料理……? なんのなんの。タイ料理? いやいや……。では、四川料理?

 2004年に中国でアジアカップがあった時に日本代表は重慶市でグループリーグを戦いましたが、記者団の間では地元の料理が辛いので“四川”ならぬ「“死線”料理」といった言葉さえ囁かれていました。たしかに、「花椒(ホアジャオ)」と呼ばれる山椒がたっぷり入った「辣醤(ラージャン)」という調味料は舌が痺れるような独特の辛みがあります。

 日本人が嫌がるので、そのうち食べ物屋に行くと、あちらも覚えてしまって「辣醤不要あるか?」と聞いてくるようになりましたが、僕は「我要辣醤!」と言って「辣醤」をたっぷり入れてもらっていました。

 大学時代の同級生がキヤノンの重慶支店長をしていたので、現地の中国人社員たちとも食事に行ったんですが、彼らは「辛いものでも食わせて日本人をギャフンと言わせたろ」と手ぐすね引いていたようです。ですが、僕が辛い四川料理を美味しそうにパクパク食べているのを見てガッカリしてました。

「当ったり前でぇ、ベラボーめ! こちとらぁナイジェリア帰りでぇ!」

 そう、世界で最高に辛いものはナイジェリアにあったのです。その名も「ペッパースープ」と言います。

 1999年4月のことです。ワールドユース選手権の初戦でカメルーンに敗れたU20日本代表は、初戦があった北部の大都市カノからナイジェリア北東部のバウチという地方都市に転戦。ここでアメリカに3対1、イングランドに2対0と連勝し、さらにラウンド16ではポルトガルと3対3で引き分け、PK戦で準々決勝進出を決めました。3試合あったので、バウチには1週間滞在することになりました。

 バウチは標高600mほどの高原にあったので気候も良く、泊まったホテルも小綺麗で、白い壁にオレンジ色の可愛いトカゲたちがいっぱいいて、1か月に渡るナイジェリア滞在中最も快適な1週間でした。

 ただ、ホテルではインターネット接続はもちろん、FAXの送信もできないので(FAX番号はあったのですが、機械がありませんでした)、わざわざスタジアムまで行ってFAXで原稿を送るという不便さもありました。

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