■西ドイツで買い集めた色とりどりのアームバンド

 そのアームバンド、白い部分には、深い緑で「Spielfuhrer」という文字がプリントしてあった。「u」の上には小さな点が2個つき、「シュピールフューラー」と読む。ドイツ語にも、ラテン語を起源とする「kapitan(カピテーン)」という単語があるが、ドイツ人たちは「試合のリーダー」的な響きをもつ「Spielfuhrer」が好みのようだ。「Fuhrer」というと「総統(ヒットラー)」が想起されるのは私だけか……。

 この年あたりから、日本サッカーリーグでもキャプテンがアームバンドを巻くのが一般化した。しかし当時は日本製のものがなく、ドイツから直輸入のものを使用するチームが多かった。後年の話になるが、釜本邦茂が日本代表のキャプテンをしていたときには、サッカーソックスをハサミで切り、それを腕に通していた。ワイルドな感じで、なかなか良かった。当時のアームバンドは今日のように調節がきくものではなく、ゴムのはいった筒状の編み物だったため、彼の太い腕には既成のものはきつすぎたのかもしれない。

「1978年のワールドカップに行きたい」という希望を抱いて『サッカー・マガジン』編集部にはいった私だったが、幸運にも入社1年目の1974年ワールドカップの取材に行くことができた。まだ月給を2カ月分しかもらっていない身で、個人的に使えるおカネなど微々たるものだったが、「幸運のおすそわけ」にと、チームメートにおみやげを奮発することにした。ドイツに着いた日から、何をおみやげにするかは決まっていた。もちろん、キャプテンのアームバンドである。

 暇を見つけては、スポーツ店を回ってアームバンドを買いまくった。20数個そろえるには同じカラーでは難しく、黒―白―黒、青―黒―青など、私のスーツケースにはさまざまな色のアームバンドがしまわれた。1個500円でも20個で1万円。大変な出費だったが、チームメートたちはきっと喜ぶに違いないと思った。

 そしてもちろん、みんなは大喜びだった。帰国して仕事が一段落し、初めてチームの試合に出かけたとき、おみやげを広げると、みんな「オーッ!」と大声を上げ、奪い合うように取った。そしてあろうことか、全員が色とりどりのアームバンドを腕につけて試合に出場したのである。

 相手チームがどう思ったか知らない。レフェリーは何も言わなかった。

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