■「アームバンド」を輝かせた名キャプテンはベッケンバウアー

 サッカーのルールブックにも、長い間、キャプテンについての記述はなかった。2007年にルールブックが大幅改訂され、ルール本条(53ページ分)とは別に「審判員のための追加的指示およびガイドライン」という71ページものパートが書き加えられたとき、「第12条 ファウルと不正行為」のガイドラインのなかにキャプテンに関する記述が入れられた。

「チームの主将は、競技規則において、なんら特別な地位や特権を与えられているものではないが、そのチームの行動についてある程度の責任を有している」

 この記述は、2016年に根本的に書き直されたルールでは本条の第3条「競技者」のなかに移されたが、文言はまったく変わっていない。

 実にわかりにくい、あいまいな表現だが、要するに、キャプテンだからといってレフェリーに異議を唱えることなどは許さないが、反則が連続したり、多くの選手が異議を唱えている場合などレフェリーが困ったときには、レフェリーはキャプテンを呼んで「みんなに落ち着くように言え」と求めることができるということである。サッカーのルールをつかさどる国際サッカー評議会(IFAB)は、2017年にキャプテンの責任を重くしてスムーズな試合運営に協力させたいと発表したが、その後、キャプテンにどんな責任や権限を与えるのか、具体的な話は出ていない。

 さて、そのキャプテンを示す「アームバンド」、一般化したのは1970年代だった。1966年のワールドカップでは、優勝したイングランドのボビー・ムーアは、彼がキャプテンであることを示すものを何も身につけていなかった。1968年のメキシコ・オリンピックでは、本来の日本代表キャプテンは八重樫茂生だったが、初戦で負傷、以後は鎌田光夫が「ゲームキャプテン」となった。この鎌田も、何もつけていなかった。

 1970年メキシコ・ワールドカップでは、優勝したブラジルのカルロス・アルベルトは何もつけていなかったが、いくつかのチームのキャプテンは今日と同じようなアームバンドを左腕に巻いていた。そして1974年西ドイツ・ワールドカップでは、国際サッカー連盟(FIFA)が全チームに「キャプテンはアームバンドを巻くように」と指示、このときからアームバンドは世界共通の「キャプテンマーク」となった。

 この大会でアームバンドが最も似合っていたのは、間違いなく開催国西ドイツのフランツ・ベッケンバウアーだっただろう。当時の西ドイツのユニホームは、丸首の白シャツ、首回りと袖口を黒で縁取ったシンプルなものだった。なぜかベッケンバウアーは腕を伸ばしているシーンが多く、また長そでを好んで着た。その真っ白な左腕に、幅10センチほどもある「緑―白―緑」のアームバンドが巻かれていた。ミュンヘンで行われた決勝戦でヨハン・クライフのオランダを2-1で下し、世界チャンピオンになった西ドイツ。つくられたばかりの2代目優勝トロフィー「FIFAワールドカップ」を高く掲げるベッケンバウアーの姿は、そのアームバンドとともに永遠になった。

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