■ミシェル・プラティニの正解

 1985年にユベントスの取材に行った。当時は、記者たちは選手の更衣室にはいることが許されていた(何という牧歌的な時代!)。

 朝9時からのトレーニング。選手たちは例外なく無精ヒゲを伸ばしたまま派手なスポーツカーを駆ってやってくる。当時コムナーレ・スタジアムにあった更衣室から道ひとつを隔てたトレーニンググラウンドへの行き帰りには、熱心なファンに呼び止められ、いっしょに写真を撮られることもある。それでも彼らは無精ひげ姿で平気なのだ。

 試合のときにも、多くの選手が無精ヒゲ姿だった。試合は歌手や役者なら「舞台」のはずだし、テレビではアップで撮られることもたびたびある。それでも彼らはまるで朝起きたままというような顔をしていた。

 そして練習や試合後のロッカールームは、壮大なヒゲそり大会となる。選手たちは部屋いっぱいに響く大声でしゃべり、冗談を飛ばし、仲間をからかいながら、それぞれの顔に真っ白なシェービングフォームを塗りたくり、かみそりを使って剃っている。そしてそれが一段落すると、ブランドものの流行のスーツに身を包み、妻や恋人たちと市内の行きつけのレストランに繰り出すのだ。

 練習や試合が終われば、選手たちには、まったく別の世界、別の生活がある。その生活をきれいに演じるため、その前の労働、サッカー選手という「汚れ仕事」の最後のセレモニーとしてヒゲを剃るのだろうか。それとも、試合のときに少しでも相手に威圧感を与えようと、無精ヒゲを伸ばして怖く見せようとしているのか――。私の頭には、さまざまな想像が浮かんだ。

 ある日、思い切ってミシェル・プラティニに聞いてみた。彼は当時のユベントスで英語を話す数少ない選手のひとりだったし、大スターであるにもかかわらず、こうした馬鹿げた、しかし普通の人が気になるようなことを質問しやすい選手だった。ちなみに、彼の愛車は、ユベントスを所有するアニェリ・ファミリーがもつフィアット社から貸与された大衆車の「ウーノ」だった。

「練習や試合前にヒゲを剃ると、汗がしみて痛いんだ。だから終わってから剃るのさ」

 彼の答えは思いがけなくシンプルだった。そのシンプルさが、私を深く納得させた。

 現在の「ヒゲブーム」がファッションである以上、やがて廃れ、多くの選手はきれいに剃り上げてしまうに違いない。そうなったら彼らの「個性主張欲」はどこに向かうのか。シューズのカラー化もすでに行き着くところまで行ってしまっているような気がする。するとまた、奇抜なヘアファッションの時代になるのだろうか。

 私の妄想は、マスクが新しいファッションになるのではないかなどというところにふくらむ。プレーにさしさわりのない、息苦しくならないマスクが開発されたら、マスク姿の選手が出てきても不思議ではない。奇抜なデザインのマスクで個性を強調しようという選手が出てくる可能性は十分ある――。

 ヘアスタイルやヒゲなどで一生懸命に個性を際立たせようとしている選手たちのことを考えると、どこかいじましく、気の毒にさえ思えてくる。

「あなたの個性は、プレーそのものにある。ピッチ上で戦う姿にあり、そこでの立ち居振る舞いにある。遠くからでも、ボールを追って走る姿だけであなただとわかる。だからみんなと同じ服装をしていても、まったく心配する必要などないんだよ」

 そう言ってやりたい思いになるのを、私は抑えることができないのである。

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