■フランスとドイツ、それぞれの流儀

 2000年のシドニー・オリンピックは、フィリップ・トルシエにとって就任後最初の勝負とも言うべき大会だった。前年のワールドユース選手権(現在のFIFA U-20ワールドカップ)で準優勝を飾ったチームをベースに、すでにイタリアでスターになっていたFW中田英寿や天才プレーメーカーのMF中村俊輔を含み、「オーバーエージ」でGK楢崎正剛、DF森岡隆三、MF三浦淳宏を加えた布陣で、彼は「メダルは行ける」と踏んでいたはずだ。そのオリンピックで世界との戦いの自信をつけ、2002年ワールドカップにつなげよう……。

 その初戦は、キャンベラでの南アフリカ戦。この大会、私は取材パスをもっていなかったが、日本サッカー協会が試合前日の監督記者会見をコンベンション・センターの大きなホールで開催してくれたおかげで出席することができた。

 会見には、当然、翌日の対戦相手である南アフリカの記者たちもたくさん来ていた。トルシエはその2年前のワールドカップでは初出場の南アフリカの監督を務め、2分け1敗で敗退、そのまま監督を退任していた。南アフリカのメディアがトルシエと対峙するのはそれ以来だったのだろう、彼らは2年前のことを執拗に聞いた。その語調には、明らかに非難、もしくは敵意が見てとれた。

 トルシエは自らを抑制し、辛抱強くすべての質問に答えていたが、会場の雰囲気はどんどん重くなっていった。

 これではいけないと思った私は、手を挙げて思い切り馬鹿げた質問をした。

「通訳のフローランはきれいにヒゲを剃っているが、ここから見るとあなたは伸ばしたままだ。何か縁起でもかついでいるのか」

 トルシエはほっとしたような笑顔を見せた。そしていつものトルシエ節に戻った。

「実は恐ろしいプレッシャーで、もう2週間もシャワーを浴びていないんだ」

 もちろんジョークだ。

「実際のところ、試合の前にはヒゲを剃らないのが普通なんだ。でも明日の試合前には剃って、日本のファンにはきたない顔を見せないようにするよ」

 デットマール・クラマーが1969年に日本でFIFAコーチング・スクールを開講したとき、「コーチたるもの、必ず朝ヒゲを剃って選手たちの前に立て」と教えた。このコーチング・スクールにはアジア各国から受講生が参加していたが、ある朝ひとりの受講生がヒゲを剃らずに授業に出てきたのを見つけたクラマーは、すぐに自室に戻ってヒゲを剃ってこいと命じたという。それが「ドイツ流」のコーチ学だった。しかしフランスのコーチング・スクールでは、そんな固いことは言わないようだ。監督もコーチも、選手たちと同じように、試合前にはヒゲを剃らずに合宿生活を送るらしい。

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