敏腕代理人が語る日本人選手「世界での現在地」(3) カズから冨安へ…変化する欧州の「日本人観」の画像
冨安はベルギーから、クリスティアーノ・ロナウド(右)らと競うセリエAへステップアップ。欧州での日本人への見方を、さらに変えることになるか? 写真:Maurizio Borsari/アフロ
全ての写真を見る

 日本からは現在、多くの選手が世界へと飛び出している。時代の流れとともに、その状況は刻々と変化していっている。現在の日本人選手は、世界でどんな立ち位置にあるのか? 稲本潤一と浅野拓磨をともにアーセナルへと、数多くの選手をビッグクラブを含む欧州へと送り出してきた代理人の株式会社ジェブエンターテイメント田邊伸明氏に、話を聞いた。

■「日本人選手像」が生まれたイタリア、ドイツ

 日本人選手の欧州への移籍には、トレンドがある。Jリーグが開幕してから数年は、イタリアだった。三浦知良(当時、ヴェルディ川崎。現横浜FC)がアジア人初のセリエA挑戦を果たし、中田英寿氏のブレイクがイタリアのクラブの「日本人獲得熱」に火をつけた。中村俊輔(横浜F・マリノス→レッジーナ)、柳沢敦氏(鹿島アントラーズ→サンプドリア)、小笠原満男氏(鹿島→メッシーナ)らが招かれた。

 その流れが2000年代後半に終わると、“新天地”ドイツが現れた。一足早く、長谷部誠(現フランクフルト)がブンデスリーガ優勝の栄光に浴してはいたが、道を切り拓いたのは香川真司(現レアル・サラゴサ=スペイン)だ。ワールドカップ南アフリカ大会のメンバーには入れなかったものの、大会後に移籍したドルトムントで一気に存在感を高めた。

 セレッソ大阪の一員としてJ2から昇格して半年で日本を離れると、若きドルトムントにフィットし、現在はリヴァプール(イングランド)の指揮を執るユルゲン・クロップの下で躍動。すぐさまブンデスリーガ制覇を果たすと、日本代表でも背番号10を託される中心選手として活躍した。

 香川の活躍、そしてその後の世界的名門であるマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)への移籍を目の当たりにすると、岡崎慎司(清水エスパルス→シュトゥットガルト)、乾貴士(C大阪→ボーフム)、宇佐美貴史(ガンバ大阪→バイエルン・ミュンヘン)と、まさにラッシュのごとく次々と選手がドイツを目指した。思えばその頃、欧州で人気が高まるとともに「日本人選手」のイメージが固まったのかもしれない。

 ただし、すでにそのトレンドは終了した。さらに、新たな日本人像がヨーロッパで生まれてきていると、田邊氏は語る。

「ドイツにたくさん選手が渡った一時期に、背が低くてもドリブルの技術が高くてスピードがあるというのが日本人選手のストロングポイント、という評価がされるようになりました。そういう選手が欲しいならば日本人選手でもいいんじゃないか、という評価でしたが、それが少しずつ変わって来ています。サイドプレーヤーだったり、もっと真ん中でゲームをつくるようなMFなど、選手のポジションに変化が生まれてきています」

 また、田邊氏は興味深い点を指摘する。良い点だけではなく、日本人選手の弱みも知られるようになっているということだ。

「日本人は意外にメンタリティが難しいということが、わかってきていると思います。真面目だし勤勉だけれども、自己主張が弱い、あるいは思っていることをなかなか言わない、とか。そもそも現地の言葉ができなかったり、海外の生活にフィットするのが難しいという面があります」

 確かに、ドイツ行きの流れは緩くなり、2017年の関根貴大(浦和レッズ→インゴルシュタット)を最後に、Jクラブから直接ドイツ1部のクラブへと移籍した例はない。勤勉性や真面目さなどのドイツ人との精神的な類似点は、日本人選手がブンデスリーガになじみやすい理由の一つに挙げられてきた。ピッチ内外での“強み”だけに目が向けられるフェイズは、もう過去の話だということかもしれない。

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2