■出張編集室にて

 だが、「第一の教訓」も、「直行便」があってのものである。

 1978年のアルゼンチン・ワールドカップからの原稿送りは困難を極めた。

 この大会、「サッカー・マガジン」は私がチーフとなって現地編集態勢をとった。ブエノスアイレスのアパート・ホテルを借りてそこを編集室とし、すべてのフィルムを集めて現像し、写真を選び、ラフなレイアウトを決めて原稿やキャプションをつけたセットを東京に送るという方法である。東京ではプロのデザイナーが最終的なレイアウトを行い、そのまま印刷所に入稿という計画だった。そのための原稿を、連日、エアカーゴで東京に送るのだ。

ブエノスアイレスから日本への電話も、申し込んでから通話できるまで1時間かかる時代だった。
ブエノスアイレスから日本への電話も、申し込んでから通話できるまで1時間かかる時代だった。

 ところが、いまも昔もブエノスアイレスと東京間での直行便などない。最初はロサンゼルスで乗り換える便を指定して送った。だがこの荷物の東京到着は1週間後だった。巨大なロサンゼルス空港での積み替えに3日も4日もかかってしまったのだ。

 次はニューヨーク積み替えを試した。これもだめだった。ニューヨークで人をひとり雇い、空港でピックアップしてもらって再度東京宛てに送るという方法も試みたが、うまくいかなかった。最終的にブラジルのバリグ航空に頼み、リオデジャネイロで積み替えに立ち会ってもらって東京行きの便(ロサンゼルスで給油ストップがあるだけで、ひとつの便が東京まで飛んでいた)に乗せてもらうまで、大会の序盤をまるまる要してしまったのだ。

 いまは航空会社の貨物コントロールにもコンピューターがはいり、トラブルは大幅に減っている。だが原稿や写真送りにエアカーゴなどもう必要ない。インターネットがまるで「どこでもドア」のように瞬時に送り届けてくれるからだ。空港まで荷物をもっていく必要はないし、税関所長に不必要な殺意を抱く必要もなくなった。

 飛脚時代からインターネット時代へ。「編集者の心得」をのぞけば、それは間違いなく進歩だ。

決勝翌日、日本へ帰る日。左から松本正さん、富越正秀さん、世古俊彦さん(通訳)。私の隣が、滞在中、毎日原稿を送り出してくれた恩人、貨物会社のセルヒオ君。
決勝翌日、日本へ帰る日。左から松本正さん、富越正秀さん、世古俊彦さん(通訳)。私の隣が、滞在中、毎日原稿を送り出してくれた恩人、貨物会社のセルヒオ君。
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