■税関所長との対話

 1978年まで、東京の国際空港は羽田だった。ある日、羽田に行ってロンドンからの荷物を引き取り、フィルムを現像所に入れて戻ってこいという指令が出た。

 羽田の貨物ターミナルにある通関会社の事務所に行き、担当者と会って「緊急通関願い」と題する書類を作成してもらう。担当者が機械のようにタイプライターで打ってくれた書類の目的欄に「○月×日発売の『サッカー・マガジン』という雑誌に掲載する記事のための写真フィルムと原稿および資料。△月□日の試合を取材したもの」などと書き込み、書類はあっという間に出来上がる。担当者は腕時計を見て「そろそろ飛行機が着く時間ですね」と言い、書類をもって税関に向かう。いよいよきょう最大の難関だ。

 税関の所長のデスクに行くのは、正直、気の滅入る仕事だった。所長はしょっちゅう代わったが、例外なく典型的な「役人」だったからだ。

 とにかく相手の機嫌を損ねないよう、ひたすら平身低頭、頭を下げ続けなければならない。それは、江戸時代までの「身分社会」はこうだったのだろうかと思わせる体験だった。

「ふうむ、サッカーかね」と所長。

「はい。サッカーの月刊誌です」。これは私。所長の質問に答えるのは私の役割だ。

「最近、サッカーは強くなってきたのかね」

「いや、なかなか世界のレベルには追いつけません」

「それでも月刊誌?」

「はい、まだ強くはないけれど、少年たちは一生懸命にプレーしますし、熱心なファンもたくさんいます」

「そうかね、私なんか、サッカーなど見たこともないけどね」

「こんど、いちどご覧になってください」

「ふうむ」

 ここでようやく、所長が机の上のハンコをつかみ、脇の朱肉にポンポンとついて書類の上にもっていく。通関会社の担当者と私はそっと目を合わせ、ほっと力を抜く。

 ところが所長の手にあるハンコはまるでトンビのように書類の上空5センチのところでクルクルと円を描くだけでなかなか着地せず、やがて机の上に戻る。そしてまた所長の質問というか、世間話が始まり、それが30分間も繰り返されながら続くのである。

 私は聖人ではない。半世紀近く経たいまだから正直に告白するが、所長への殺意を抱かなかったかと問われれば、胸を張って「否」ということなどできない。殺意をもつことだけで倫理的には罪であるとすれば、私は大いなる罪人である。

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