■海外からは「エアカーゴ」で
「□□便で送った」という連絡が賀川さんからくる。羽田空港まで行けばすぐにもらえるのだが、「貨物」を扱う会社の窓口が新橋駅の近くにあり、空港についた荷物は「空港留め」のただし書きがなければその窓口まで運ばれてくるので、「新橋まで賀川さんの原稿取り」というわけである。羽田からのトラックが到着するころになると、私のように「貨物受け取り」の会社員たちが窓口の近辺にたくさんたむろする。編集者というより、大阪支社などから重要な社内書類を受け取るための人が多かったようだ。
おそらく、賀川さんは東京本社とのやりとりなどでたびたび「航空貨物」を使っていたのだろう。しかし雑誌社ではまず使わなかった。「超特急便」だから相当高いに違いなかったが、私には、「送料はいくらですか」と聞く勇気はなかった。
当時の「サッカー・マガジン」の原稿料は恐ろしく安かった。きっと賀川さんは航空貨物料金で足が出ているに違いないと考えたからだ。
では、海外取材の原稿はどうしたのか――。
こちらは「賀川方式」しかなかった。
当時、「サッカー・マガジン」はカメラマンの富越正秀さん、松本正さん、ライターの大和国男さんの3人がロンドンを拠点に欧州を回っており、定期的に原稿が送られてきていた。締め切りまで充分な時間があるときには「エアメール」だった。富越さんと松本さんの写真は現像して、大和さんの記事は原稿用紙で、大きな封筒で送られてきた。
英国は郵便事業発祥の国であり、日本の郵便も信頼性という面では世界でトップクラスにあった。「エアメール」はほぼ間違いなく1週間で届いた。
だが、締め切りが迫った試合のレポートはエアメールでは間に合わない。そのときには航空貨物を使った。私たちは、国際航空貨物を「エアカーゴ」と呼んでいた。
未現像のフィルムと原稿、試合の資料になる新聞やプログラムなどを小さな段ボールの箱に入れ、厳重に封をして送るのである。
ところが受け取り側は賀川さんの原稿のようなわけにはいかない。日本にとって、外国から送られてくる貨物は「輸入品」なのである。当然、すべての品に税関のチェック(「通関」という)がはいる。輸入のための書類を整え、税関とやり合うという仕事は素人にはできない。専門の業者があり、そうした会社に頼むことになる。
「通関」には、通常数日かかる。それでは締め切りには間に合わない。そこで報道関係には「緊急通関」という方法が許されていた。あらかじめ貨物番号や内容物の詳細を示し、空港の税関所長の許可があれば、到着後すぐに受け取ることができるという大変ありがたいシステムである。
だが「所長に許可をもらう」というのが、大変な仕事だった。