歩みを止めなかった西村は、翌2018年にはさらに大きな結果を残す。本人がことあるごとに口にしてきた“ゴール”を量産したのだ。この年のリーグ戦初ゴールを決めたのは、第5節のV・ファーレン長崎戦。当時の渡邉監督が、「(決めたときに見せた)ゴール前での落ち着きに、彼の成長が見えた」と目を細めるものだった。それは、相手ゴール近くにポジションを取り、クロスのこぼれ球をプレッシャーの中で慌てずにおさめると、これまた落ち着き払ったステップで相手をかわし、冷静にゴールに流しこんだものだった。
これを契機にゴールを量産し、チームの勝利や勝点獲得に貢献する。特筆すべきは、ゴールのパターンが増えたこと。相手DFの視界の外から飛びこんでクロスに点で合わせたものもあれば、相手最終ラインの背後にタイミング良く抜け出してスルーパスを受けたものもある。自らドリブルで長い距離を持ち運んで決めたものもあった。8月までにリーグ戦だけで11ゴールと二桁得点を達成し、エースといえる地位に駆け上がっていた。
そこに、ロシアの名門・CSKAモスクワからのオファーが届く。リーグ真っ最中ということで、自身にとってもチームにとっても難しいタイミングだけに「悩んでいる時間もなかった」のだが、強い気持ちで決断。「このチームでタイトルを取りたかった」という心残りも胸にしまい、異国へと飛んだ。
ロシアに身を置いた西村にとって、新天地ではゴールを取ること以前にチーム内競争を勝ち抜く苦労に立ち向かった。CSKAモスクワでは成長株のフョードル・チャロフら名だたるFW陣と切磋琢磨して徐々に出場機会をつかむも、本人にとって満足できる結果は残せなかった。2019年にロシアプレミアリーグ第19節のルビン・カザン戦で移籍後初ゴールを決めてサポーターを沸かせ、短時間ではあるがUEFAチャンピオンズリーグの2試合でピッチに立った。それでも継続した結果を残すことはできなかった。
後に本人が語るところによれば、コンディション作りについては「それまで日本で積み重ねてきたものと変わりはなかった」という。その一方で、トレーニングでチームメイトが発揮する力のレベルが高いことに驚かされた。そして、「日本よりは向こうのほうがとてもそういう(コミュニケーションの)面で難しかったし、そういう能力はみんな向こうの人はすごい」と、多国籍の選手が在籍する中での意思疎通などで、学ぶことは多かった。何より、ゴールの重要性を痛感した。ライバルたちから「FWとしてのゴールへの欲の部分だったり、常にゴールを目指す欲の強さだったりをもっと、持たなければいけない」と強く思わされ、焦らされたという。
そんな葛藤の中でさらなる出場機会を求め、ポルトガルのポルティモネンセへの期限付き移籍を決断する。ここで出番をつかもうと努力していた頃に、COVID-19の脅威が世界を覆う。チームの活動休止を受け、熟慮の末に、西村は帰国を決めた。ポルティモネンセとの契約を解除し、CSKAモスクワからの期限付き移籍という形だったが、J1仙台に再加入したのだ。世界的混乱の中で、異例の加入である。