■発砲の危険を冒す
人生で初めての(そして、たぶん最後の)ホールドアップ。1メートルほど前で銃口がこちらを向いています。彼の指がほんの数センチ動けば僕の命はありません。ところが、彼らはいきなりショルダーバッグを奪って走り出したんです。
「あれっ?」
考えてみてください。おかしいでしょう? 相手はピストルを持っていて、こちらは身動きできないんですよ。身ぐるみ剥げばいいじゃないですか! 実際、現金やカードはジャケットのポケットに入っていたんですから。しかし、彼らは持っているピストルを高くかざしてこちらに見せながら、走って逃げていきます。
「あのピストルはおもちゃか、さもなくば弾丸は入っていないに違いない」
一瞬でそう判断した僕はある程度の距離を置いて追いかけてみることにしました。距離があれば、もし発砲されたとしても、素人が走りながら撃った弾が当たるとは思えません。南米には「東洋人は皆クンフーや空手の使い手だ」と誤解している人も多いので怖がってバッグを放り出すかもしれません。
結局、発砲もされませんでしたが、彼らは路地の奥に逃げて行ったので深追いはよしました。すると、向こうからパトカーがやって来ました。警官は一応、付近を一周してくれましたが、もちろん犯人は見つかりません。警察署に連れていかれて事情聴取を受けました。外回りから戻って来る警官は、皆、防弾チョッキを着ています。
この辺りは「ドックスード(南ドック)地区」。アルゼンチンでも最もヤバイ地区の一つです。
「サンテルモ」と「ドックスード」という2つのサッカークラブの本拠地でもあり、ハビエル・サネッティもこの地区の育ちだそうです。
奪われたバッグには取材ノートと旅券が入っていましたが、ノートは到着したばかりなのでほとんど何も書いてなかったので実害なし。旅券は普段なら身に着けているのに、この日は何故かバッグに入れていたんですね。翌日、日本大使館に行って申請したら、次の日に新しい旅券をもらえました。ただ、前の旅券が1997年1月発給のものだったので、新しい旅券も残り期間だけ有効。つまり2002年1月まで、わずか半年だけしか使えません。それでも普通の数次旅券と同じく1万円(74.45ドル)を取られました。残念だったのは、奪われた旅券にあった珍しいビザの数々でした。
半田雄一氏の証言:もう一人の悪漢が、わたしにもピストルを突き付けてきました。みすぼらしい服装の、二十歳前後の若者でした。のけぞって後ろ向きに転んだわたしは、ポケットにあったその日の取材資金の札束と硬貨をなるべく遠くに放り投げました。必死の思いでした。すると悪漢は、それをすべて拾ってから先に逃げ出した相棒を追って走り去ってくれました。「助かった」とおもむろに起き上がったわたしが後藤さんの姿を探すと、なんと後藤さんは、全力で逃げる二人の悪漢を走って追いかけているではないですか。無茶としか思えません。ピストルを手に全力で走る二人の若者と、それを追いかける熟年で重厚な後藤さん。その姿は、まるで、チャップリンかキートンの映画のようで、とても現実のものとは思えませんでした。