■遠かったサンロレンソへの道
ドタバタの末、僕は2001年4月7日の朝、ブエノスアイレスのエセイサ空港に到着しました。ちょうど土曜です。「何か試合をやっているに違いない」と思った僕は売店で新聞を買ってからライオン・マークのバスに乗って市内に向かいました。
ブエノスアイレスの都心の一角に「ミクロセントロ」という一角があります。アルゼンチンが華やかな全盛期を迎えていた1920年代に造られたパリを髣髴させるビルが建ち並び、その当時のままの古びたホテルやレストランがとても良い雰囲気を醸し出していました。僕は、そんなブエノスアイレスが大好きでしたが、最近は残念ながら古い店やホテルがどんどん廃業してしまっています。
ブエノスアイレスでは、そんな風情あるホテルの一つに泊まることにしていました。
新聞で調べたところ、その夜にはサンロレンソの試合があることが分かりました。
「サンロレンソ・デ・アルマグロ」。ブエノスアイレスには数多のサッカークラブがあって、もちろんリーベル・プレートとボカ・ジュニアーズが双璧をなしていますが、サンロレンソはそのビッグツーに次ぐ伝統を誇るクラブです。
ちなみに、2013年に即位した第266代ローマ教皇のフランシスコ猊下はブエノスアイレス出身のイタリア系アルゼンチン人で、幼少期から地元のクラブ、サンロレンソのソシオだったといいます。
これは、見に行くしかありません。ホテルで休んでから、夕方、タクシーを捕まえてサンロレンソに向かおうとしました。
「カンチャ・デ・サンロレンソ」
と行き先を伝えると、次々と乗車拒否されてしまいました。ようやく4台目だか5台目の車でブエノスアイレス南西部のサンロレンソに向かいました。しかし、タクシーはスタジアムではなく、クラブの本部の前に停車しました。オフィス・ビル脇にはコートがあって中産階級の人たちがテニスに興じています。見回すと、スタジアムまでは500メートルくらいあるでしょうか……。