■弱いはずだった日本代表
大会は、まず「組分けを決める」ためというあまり意味のない試合が行われ、日本はシンガポールに勝利したため、グループリーグでは中国、マカオと同組となった。グループリーグ初戦の相手は中国だった。
中国は、台湾問題を巡って1959年にFIFAを脱退してしまったため、長く国際舞台から姿を消していた。そして、1960年代後半には毛沢東主席が発動した文化大革命によってスポーツも大混乱となっていた。だが、ようやく1974年にアジア・サッカー連盟(AFC)に再加盟し、1979年にはFIFAにも復帰。1976年のアジアカップと1978年のアジア大会ではともに3位という成績を上げていた。
1970年代の中国を代表する名手、容志行が中盤の底でチームをコントロール。右のウィングには後にハンブルガーSVに移籍した古広明、左のウィングには後に日本の富士通(川崎フロンターレの前身)でもプレーした沈祥福といった選手がいた。
当時、香港は英領直轄植民地だったが、政治的立場は別として香港の住民は中国人なのだから当然中国を応援する。とくに、容志行や古広明などは広東省の選手なので、香港のファンにとって馴染み深い選手だった。
また、香港ではまだ反日感情も激しかった。日本が中国と戦った長い戦争が終わってから、まだ35年しか経っていなかったし、戦後の日本がアジア諸国を市場として取り込んで高度経済成長を遂げていたことも反感を買っていた。
サッカーが大好きな東南アジアや香港の人たちにとって「弱い日本代表」は、そんな反日感情のはけ口となっていた。香港の観衆は中国を応援し、そして弱い日本代表を笑いものにしようと思ってスタンドを埋めていた。
観衆の期待通りに、中国は試合開始とともに攻勢をかけてきた。そして、前半6分に、日本は容志行にロングシュートを叩き込まれてしまったのだ。香港のファンの大歓声がスタンドの屋根に反響。僕は「これから、いったいどうなってしまうんだろう?」と不安になった。
だが、その後、日本の若い選手たちが落ち着きを取り戻してくると、日本が完全にボールを支配してしまったのだ。それまでずっと日本代表の試合を見続けてきた者にとっては、まったく信じられないような光景だった。