疑惑の目が向けられているエマニュエル・マクロン大統領 写真:AFP/アフロ
疑惑の目が向けられているエマニュエル・マクロン大統領 写真:AFP/アフロ

 フランス・リーグアンの打ち切りが決まったのは4月28日(火)だった。この日、エドアルド・フィリップ首相は官邸で次のようにコメントした。

「観客動員が5000人以上を見込まれるすべてのスポーツイベントは、9月以前には開催しない。2019年~20年シーズンのプロスポーツ、とりわけサッカー(リーグアンとリーグドゥ)とラグビー(トップ14)が再開されることはない」

 サポーターやメディアにとって大きな驚きであったばかりでなく、プロリーグ連盟(LFP)やフランス協会(FFF)にとってもほとんど寝耳に水といっていい決定だった。両者は6月17日にリーグアンを再開(リーグドゥは16日)し8月2日に終了、パリ・サンジェルマン(以下PSG)とオリンピック・リヨネ(以下リヨン)のリーグカップ決勝は6月27日、PSG対サンテチェンヌのフランスカップ決勝は7月11日の予定で、シーズン再開の調整を進めていたのだから。

 すべては週末に慌ただしく決められた。日曜夜に政府からLPFに送られたメッセージには、シーズンの打ち切りについては何も触れられていなかった。月曜朝の閣議で打ち切りと翌日の発表が決まり、エマニュエル・マクロン大統領に報告した後にようやく夜にFFF会長であるノエル・ルグラエにもSNSで伝えられたのだった。

 コロナ禍収束の見通しが立たないゆえの判断であることは間違いない。しかしレキップ紙の取材に答えたある大統領関係者は、スポーツを利用した政治的な判断であったことを認めている。

「国民にはまだまだ状況は厳しく、さらにさまざまな我慢をしなければならないことを理解して欲しい。そんな状況でサッカーの試合がおこなわれれば、最悪の時期はもう過ぎたと人びとが誤解しかねない」

 そこには緊急事態宣言を遵守しているとは言い難い、パリ郊外の若者たちなどの活動を制限したいという意図も見え隠れする。だが、この突然の方向転換が、多くの混乱を招き憶測を呼んだのもまた事実だった。

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