ワイルド11との地獄の対決
ある年の2月、私のチームが江戸川の河川敷のグラウンドを取ることができたので、望月先生に電話をかけて練習試合を頼んだ。江戸川区の篠崎というグラウンドは東京の東端にある。横浜からはかなり遠く、更衣室もない土のグラウンドだ。
しかし「サッカーのない日曜日などありえない」望月先生は、電話でも「にこやか」とわかる声で「いいよ」と言ってくれた。その後に、小さな声で「うれしいな」と続けるところが、望月三起也という人物の飛び抜けたやさしさだった。そのひと言が、私はたまらなく好きだった。
その日曜日、起きてみると素晴らしい晴天。ただ、何となく風が強いなと感じた。
迎えにきてくれた友人の車で篠崎に向かう。
江戸川の土手の「陸側」にある篠崎公園の駐車場に車を入れると、横浜からの「遠征軍」もちょうど到着したところだった。
だが土手に上って河川敷を見渡したとき、私は茫然とした。そこに広がっていたのはまさに「地獄絵図」だったのだ。
東京の東端を流れて東京湾に注ぐ江戸川は、このあたりでは北北西から南南東に流れ、河川敷を含めた「河道」の幅は500メートルほどにもなる。町なかでは「やや強い」と思われた冬の風は、ここでは恐ろしいばかりの勢いで、しかも息もつかずに広大な河道を駆け抜けていた。風速は優に秒速20メートルを超えていただろう。「ゴ~~ォ!」という、この世のものとは思われないごう音をたて、グラウンド上を土けむりが猛烈な勢いで下流に向かって流れていく。とてもではないが、人類が生存できる環境とは思えなかった。
「これじゃ、とても試合なんかできないよ」
即座に誰もがそう言った。
いや、ひとつだけ別の意見があった。望月先生だった。
「せっかく早起きして横浜からきたんだ。できないことないじゃない。やろうよ!」
ホームチームとしては、ビジターの意向は絶対だ。みんな、「ワイルド11」の人たちも、「先生が言うんじゃ仕方がない」という顔で土手を降りていった。そのなかで、望月先生がひとり喜々としていたのは、言うまでもない。
グラウンドに出ると、望月先生はさっそく週のうち6日間というもの仕事の合間に夢見続けてきた行為に取りかかった。
風下のゴールに向かって、右足を振り回し、力いっぱいシュートを放ったのだ。