■思わぬところで”日本文化”との出会い

 さて、グループリーグの間は首都のキトに滞在して日本の試合を見ていました(決勝は太平洋岸の港町、グアヤキルでした)。キトは標高が3000メートル弱の高原都市で、6000メートル近い山々が街を囲んでいます。スペイン人が築いた旧市街はこじんまりとした素敵な街で、石畳の道路もとても風情がありました。僕は旧市街に近いタンボ・レアルという清潔感溢れるホテルに泊まっていました。キヌアというアンデスの穀物は、今では日本でも有名ですが、キヌアを初めて食べたのがこのホテルでした。

エクアドル・サッカー協会発行の取材パス(裏)

グアヤキルではリベルタドーレス杯の試合を観戦した

 さて、ある日、僕はバスに乗ってキトから70キロくらい離れたイバラという都市に向かいました。ブラジルとドイツの試合があるからです。まず、バス・ターミナルに向かったんですが、そこで石畳の道路に足を取られて転んで右足首を捻挫してしまったのです。昔、サッカーをしていた頃から、捻挫の癖があったんですね。転んだのは高地のせいで注意力散漫になっていたからです。僕は酒にも強いし、船酔いもしませんが、高地には弱いんです。

 皆さんもご承知のように、捻挫というのはやっちゃった直後にはそれほど痛くないのですが、時間の経過とともに痛みも増してきます。イバラのスタジアムに着いて靴を脱いでみると、右足首はすっかり腫れあがってしまっていました。

 イバラまでの往復は、僕にとって文字通り「茨の道」になってしまったわけです。

 試合が終わって、再びバスに乗って、なんとかタンボ・レアルに帰り着きました。そばに薬局があったので、帰り着いた僕は薬を買いに行くことにしました。まず和西辞典で「捻挫」という言葉を調べてから、僕は薬局に向かい、店のお兄ちゃんに「捻挫のため足が痛い」と告げました。

 この時、僕は「アンデスの秘薬のような、真っ黒でドロドロの薬でも持ってこられたらどうしよう?」と半分は心配し、半分は期待していました。だって、そんな薬を塗った足は間違いなく「映える」じゃないですか! もっとも、当時は「映える(ばえる)」なんていう言葉はありませでしたけどね……。

 僕の言葉を黙って聞いていた薬局のお兄ちゃんは、おもむろに一言だけ言葉を発して薬を取り出しました。

「オー、サロンパス!」

 目の前に現われたのは、お馴染みの日本製の湿布薬でした。

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