「サポーターというジレンマ」――Jリーグ再開への道を考える――の画像
2020年のJリーグ開幕戦の横浜・F・マリノスサポーター 写真:アフロ
Jリーグの再開はまだ見えてこない。新型コロナウィルスの影響で、全公式戦を中断したまま、五里霧中の状況から抜け出せずにいる。その一方で、クラブはどんどん苦境に追い込まれている。いつになったら我々はピッチで躍動するプレーヤーたちを、歓声を上げて応援することができるのか。Jリーグと村井満チェアマンは、難しい舵取りを迫られている。

■サポーターのいないJリーグなんて

 Jリーグはどうなるのだろうか。

 4月15日、Jリーグは今シーズンの「成立条件」を確認し、全試合数の75%、かつ全クラブが50%の試合数を消化できなければ、大会は成立せず、順位もつかないことを発表した。

 J1でいえば、全試合(9試合×34節=306試合)の75%超は230試合であり、すでに消化した第1節9試合をのぞけば、今後再開されてから12月までに221試合以上を消化しなければならないことになる。全クラブが一斉に試合をできるとしても、25節分になる。

 問題は、新型コロナウイルスとの戦いが相当な長期戦になりそうなことだ。現在実施されている「緊急事態宣言」の効果で感染がいったん「終息」するとしても、「人が集まる状況をなくす」という防疫方針が変わることはないからだ。

 実験的な対処療法の治療が行われているだけで、いまだ治療薬も確立していない。さらに感染を防ぐ決め手となるワクチンの開発には、速くても十数カ月が必要だろうと言われている。そのワクチンが世界に行き渡って初めて、私たちは元の生活に戻り、満員電車に乗って通勤・通学し、会社で働き、学校で学ぶことができるようになる。そして劇場、ライブハウス、スポーツの興業などを制限なく実施することができるようになる。

 Jリーグには「サポーター」がいる。観客席の一角に集まり、旗を振り、肩を組んで歌を歌い、得点がはいれば跳び上がり、誰彼なく抱き合って喜びを分かち合う。サポーターがあってのJリーグであり、サポーターのないJリーグなど考えられない。しかしその「サポーター活動」が「新型コロナウイルス終息期のJリーグ」の大きな「ジレンマ」となる。

■日本サッカーにサポーターが誕生した日

 Jリーグができる前、日本のサッカーにはサポーターはいなかった。

 日本サッカーリーグ(JSL)時代の末期、攻撃的なサッカーで人気を集めた読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)には、「サンバ隊」と呼ばれる集団がいた。ブラジルのように、太鼓やホイッスル、パーカッションなどを持ち込み、試合中にサンバのリズムを刻み続ける集団が現れ、どんどん大きくなっていった。「楽しそう」と見た若者たちが、空き缶に石ころなどを入れて持ち寄り、リーダーたちに合わせて体を振りながら演奏し、その人数が数百人になったのだ。

 しかし彼らは自らの声を出すことはなかった。イングランドなど海外のスタジアムで声を合わせて歌い、いっせいにマフラーを振ってチームを鼓舞するような自発的な集団活動は、日本人にはできないのではないかと思われていた。

 1981年に始まり、「年にいちど、日本のファンが世界レベルのサッカーを実見できる機会」として定着した「トヨタカップ」では、両クラブのエンブレムをあしらった応援旗とともに「チアホーン」が飛ぶように売れた。チアホーンはドイツのサポーターが使っている「ホルン」をヒントにトヨタカップの運営サイドが発案し、自転車用のホーンを大量発注してスタジアムで販売したものだった。

 クラブ旗の波と絶え間のないチアホーンによって、トヨタカップのスタンドはとてもカラフルでにぎやなかものとなった。それがなければ、12月の国立競技場は、黒っぽい服の波と、ときおり好プレーにもらされるため息だけの、プレーする欧州と南米の選手たちにとってはとても異質なものになっていただろう。

 日本のサッカーに「サポーター」が誕生した日付けははっきりしている。1991年6月9日日曜日である。

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