プレーヤーたちも、サポーターの歌声に力が湧いてくるのを感じた。苦しい時間帯でも、サポーターの歌声に押されて自然に体が動く。最後の一歩が出る……。そして初年度のナビスコカップが終盤を迎えるころには、サポーターのいないJリーグなど考えられなくなっていた。

 JSL時代も、読売クラブや日産自動車は現在のJリーグに負けないくらいハイレベルで魅力的なサッカーをしていた。しかし実質的に「プロ選手」が大半だといっても、JSLはあくまで企業の名を背負った「アマチュアクラブ」だった。

 Jリーグ化によってすべてのクラブが独立した法人となり、ホームゲームにできるだけたくさんの人を入れることで収益を伸ばそうという企業になった。企業名を捨て、地域名を背負ったその活動とサポーターの存在は不可分のものとなった。JSLとJリーグとの決定的な差異は、サポーターの存在と言っても過言ではない。

■眠れないほどの苦悩

 だがそのサポーターが、いま、Jリーグの「足かせ」になりつつある。

 Jリーグを再開するにしても、当面は「人と人の接触」を最小限に抑えなければならない。スタジアムに向かう電車やバスの混雑をなくし、入場時に並ばせず、スタンドも1席ずつ、また1列ずつ空けさせるなどの措置が必要になる、それはサポーター席も同じだ。

 サポーターが以前のような活動をするなら、スタンドに密集して大声で歌い、互いに抱き合うなら、それを認めるわけにはいかない。すなわち、「サポーター席はあっても、サポーターはいない」状況にしなければ、当面の試合開催は難しい。

 だが、サポーターのいないJリーグは、果たしてJリーグと言えるのか――。

 そこにJリーグの「ジレンマ」がある。

 2月25日に最初の中断を発表したとき、村井チェアマンは「無観客は最後の手段」と語った。4月5日付けの本サイトのコラムのなかで、後藤健生さんは「社会の中でプロ・スポーツが存在する意義を考えれば、ファン、サポーターを抜きには考えられないものだという覚悟のようなものがそこには感じられる」と、プロ野球とともに観客を入れられる状況での開催にこだわったJリーグを高く評価している。

 私も、今回のコロナウイルス禍のなか、「ファン・サポーターあってのJリーグ」という姿勢を示した村井チェアマンの発言に強く力づけられる思いがした。

 だが、試合の中断は当初の3月いっぱい、続いてのゴールデンウイーク明けにとどまらず、4月上旬には「無期限」となった。4月15日、村井チェアマンは「6月に再開が可能なのか、7月になるのか、8月か、いまの段階では言えない」と語った。

 試合ができなければ、クラブはどんどん厳しい状況に陥る。「無観客でも再開を」とクラブ側から村井チェアマンに圧力がかかるのは時間の問題だ。

 私は無観客開催には賛成できないが、かなり厳しい制限をつけたうえでの開催方法を考えるべき時期にはきていると思う。それは「サポーターのいないJリーグ」だ。

 本来、サポーターがいなければJリーグはJリーグではない。だがそれでも、再開の努力をしなければ、Jリーグが生き残ることは難しい。

 再開の道を探るにあたって、Jリーグやクラブは、サポーターの存在が大きなジレンマであることを痛感しているに違いない。その思いを、サポーターなしで試合をするという事態のあまりに重大さに迷い、眠れないほど悩んだことを、このコロナウイルス禍が去った後にも、けっして忘れないでいてほしい。

 そして「サポーターのいるJリーグ」という正常な状態に戻ったとき、Jリーグやクラブとサポーターの関係が、コロナウイルス禍以前よりはるかに良くなり、スタジアムが誰にとっても幸福感あふれるものになってほしいと願っている。

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