思い返せば、4年前、ユーロにオレンジ軍団の姿はなかった。
チェコ、トルコ、アイスランド、カザフスタン、ラトビアと同組のグループAに振り分けられたオランダだったが、4位に沈んでまさかの予選敗退に追い込まれた。
32年ぶりのユーロ本選出場権獲得失敗に、国民の落胆は大きかった。だがその頃、「彼」はまだヤング・アヤックス(アヤックスのBチーム)でプレーしていた。
フレンキー・デ・ヨング。現在、オランダ代表とバルセロナで主力を張る男である。
■必然のブレイク
2018-19シーズン、デ・ヨングは萌芽の時を迎えた。チャンピオンズリーグでレアル・マドリー、ユヴェントスを撃破して、アヤックスがベスト4に進出。マタイス・デ・リフト、ドニー・ファン・デ・ベーク、、ダビド・ネレス、ハキム・ジイェフ、若い選手が躍動して攻撃フットボールを展開する、そのチームの中心にデ・ヨングがいた。
さらに時を遡ると、フェイエノールトとヴィレム・トヴェー、2クラブからデ・ヨングにオファーが届いたのは、彼が7歳の時だ。父親はフェイエノールト行きを希望していた。だが、デ・ヨングはヴィレムを選んだ。この「意思決定」は、デ・ヨングという選手を紐解く上で、ひとつの鍵になる。
2011年、14歳だったデ・ヨングは、ヴィレムU-16の選手としてアヤックスU-16との一戦に臨んだ。その試合が、アヤックスがデ・ヨングに目を付けるきっかけになったといわれている。
最終的にデ・ヨングがアヤックスに移籍するまで、それから4年を要した。なぜ、すぐにアヤックスに行かなかったのか。デ・ヨング自身がその意思決定を語っている。
「ヴィレムはビッグチームではなかった。だから、僕たちは常に生き残るために戦わなければいけなかった。その中では、フィジカルの強さや忍耐力が必要だった。そういった経験は自分にとって本当にプラスに働いたと思う」
技術に優れた選手が、育成年代でフィジカル能力に劣るというケースは数多ある。そして、クラブの育成部門から厳しい目でチェックされ、篩(ふるい)に掛けられ、どこかのタイミングで落とされてしまう。
ただ、デ・ヨングの場合は、その逆だった。フィジカルベースが低いという事実を認識して、それを受け入れ、課題を克服するために必要なことを自らに課したのだ。