■決勝戦と3位決定戦のチケットだけ

 宿代を浮かすためにシュトゥットガルトの次はハンブルグといったようにわざと長距離の夜行列車で移動して宿代を浮かせたり、泊まるのもユースホステルを利用しました。今はそんなことないんでしょうが、当時のユースホステルなんてセキュリティもいい加減で「危ないな」とは思っていたんですが、とうとうやられちゃいました。チケット泥棒です。持っていたチケットの束の中から、他のチケットには手を付けず、決勝戦と3位決定戦のチケットだけが盗まれました。フランクフルトでのことです。

 警察に行ってみたら、警察も困ったんでしょうか、僕をパトカーに乗せて西ドイツ協会(DFB)まで連れて行ってくれたんです。協会はフランクフルトのヴァルトシュタディオンの近所の森の中にありました。「ヴァルト」というのはドイツ語で森という意味です。ちょうどチケット担当のホルスト・シュミットという30歳くらいの職員がいたんですが、「お気の毒ですけど、どうにもできないですね……」と言うばかり。

 結局、3位決定戦と決勝戦は試合前日にミュンヘンの中央広場、マリエンプラッツで買うことができました。3決はバックスタンドの良い席が取れましたが、決勝戦は前半終了間際にゲルト・ミュラーが決勝点を入れた方のゴール裏立見席でした。

ミュンヘンで行われた決勝は、ベッケンバウアー対クライフの西ドイツ対オランダ

 それから約20年が経って日本と韓国が2002年大会の招致争いをしていた頃、FIFA代表団が両国の視察にやって来た時のことです。ソウルのレセプション会場で、その代表団の一員だったホルスト・シュミットと再会したのです! 早速「1974年にこんなことがあったよ」と言って話しかけて、まあ向こうは僕のことを覚えてはいませんでしたが、昔話に花を咲かせました。

 1週間後、東京でのレセプションでも再び顔を合わせたのでまたおしゃべりしてたら、組織員会(JAWOC)の役人に「ジャーナリストはしゃべってはダメ!」と追い払われてしまいました。

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