■ 初代会長も輩出。香港が初期のAFCを牽引できた「英国領」という強み
次にアジア各国のサッカー協会代表が集まったのは、2年後の1954年にフィリピンのマニラで開催されたアジア競技大会(5月1日~9日)だった。そして5月8日にフィリピンサッカー協会のジョン・クレランド会長が議長を務めた会合において、アジアサッカー連盟(AFC)の設立が決議されたのである。
設立メンバーは13。アフガニスタン、ビルマ(現在のミャンマー)、香港、インド、インドネシア、日本、韓国、マラヤ(現在のマレーシア)、パキスタン、フィリピン、シンガポール、中華民国(現在のチャイニーズ・タイペイ)、南ベトナム(現在のベトナム)。初代会長には、香港の政治家でもあったマンカム・ロー(中国名・羅文錦)が選ばれた。
その後、会長職は短期間のうちに実業家のクォク・チャン(郭贊)、同じく実業家のウィリアム・ルーイ(雷瑞徳)へと受け継がれたが、いずれも香港の人だった。当時のアジアはどこも貧しく、このような組織を動かすための組織も人材も不足していた。香港が初期のAFCで主導的な役割を果たせたのは、当時の香港が「英国」の植民地だったからである。
香港は南中国の良港として知られ、ポルトガルや英国が貿易港として利用していたが、19世紀半ばの「アヘン戦争」の結果、1842年の南京条約によって英国に「永久割譲」された。中国に返還されたのは1997年のことである。すなわち、1950年代の半ばの香港は「英国」であり、住民は英国人だったのである。
後に18年間(1958~1976年)にわたってAFCの会長を務めるトゥンク・アブドゥル・ラーマン(マレーシア首相)をはじめとした4人のAFC会長を輩出し、現在もAFC本部が首都クアラルンプールに置かれるマレーシアが独立を達成するのは、第1回アジアカップの翌年、1957年のことだった。


































