サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、1990年代の「世界サッカーの首都の顔」について。
■ミラノ市民の大きな夢
この1947年、ミラノ市はサンシーロを15万人規模の巨大スタジアムにすることを発表する。戦後の混乱のなか、計画はなかなか進まなかったが、1954年、「2層式、10万人収容のスタジアム」への大改装計画がようやく動き出した。
ただ、スタジアムの東側には競馬場が迫っていて、土地の余裕がなかった。他の3方は駐車場だったが、拡張に使うことができる土地は限られていた。市民がことあるごとに話題にした「チェントミラ(10万人)・スタジアム」にするのは、簡単な仕事ではなかった。
しかし設計を任されたフェルッチオ・カルツァラティと建築家のアルマンド・ロンカは奇抜なアイディアを思いついた。基本的には、従来の1層式の観客席の上に2階席を設けることで収容数を増やそうという計画だったが、その2階席に昇る階段に、誰も想像しなかった形を採用したのだ。
高さ20メートルにもなる新しい2階席。そこへの入退場のために、スタジアムの外壁に沿って19本もの周回通路をつくったのだ。たとえば2階の北側スタンドのある区画に行くには、西側にある番号を振られた通路から入り、幅3メートルの斜面をのぼっていく。スタジアムの外側に沿った200メートルの通路を進むと、目的の席に着くというわけだ。
以後、まるでカットしたケーキのようにスタジアムを包む斜めの通路は、「サンシーロ」のシンボルとなった。「土地がない」ことを逆手にとり、スタジアムの個性を強調し、欧州でも最も印象的なものにしたのだ。















