大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第195回「100歳スタジアム物語」(3)ファシストに抗った天才FWと、ミラノ市民の誇りで「ジュゼッペ・メアッツァ」が誕生の画像
3層目の観客席と巨大な鉄鋼製の屋根を支えるため、1990年、スタジアム周囲に11基のタワーが完成。タワーは観客席への通路も兼ねる(1990年撮影)。©Y.Osumi
■【画像】サンシーロの特殊な外観

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、1990年代の「世界サッカーの首都の顔」について。

■ミラノ市民の大きな夢

 この1947年、ミラノ市はサンシーロを15万人規模の巨大スタジアムにすることを発表する。戦後の混乱のなか、計画はなかなか進まなかったが、1954年、「2層式、10万人収容のスタジアム」への大改装計画がようやく動き出した。

 ただ、スタジアムの東側には競馬場が迫っていて、土地の余裕がなかった。他の3方は駐車場だったが、拡張に使うことができる土地は限られていた。市民がことあるごとに話題にした「チェントミラ(10万人)・スタジアム」にするのは、簡単な仕事ではなかった。

 しかし設計を任されたフェルッチオ・カルツァラティと建築家のアルマンド・ロンカは奇抜なアイディアを思いついた。基本的には、従来の1層式の観客席の上に2階席を設けることで収容数を増やそうという計画だったが、その2階席に昇る階段に、誰も想像しなかった形を採用したのだ。

 高さ20メートルにもなる新しい2階席。そこへの入退場のために、スタジアムの外壁に沿って19本もの周回通路をつくったのだ。たとえば2階の北側スタンドのある区画に行くには、西側にある番号を振られた通路から入り、幅3メートルの斜面をのぼっていく。スタジアムの外側に沿った200メートルの通路を進むと、目的の席に着くというわけだ。

 以後、まるでカットしたケーキのようにスタジアムを包む斜めの通路は、「サンシーロ」のシンボルとなった。「土地がない」ことを逆手にとり、スタジアムの個性を強調し、欧州でも最も印象的なものにしたのだ。

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