■新スタジアム建設へ

「ミランFC」は当初都心にあった競馬場のトラック内のピッチをホームとしていた。当時のミラノ市の競馬場は、後に世界の名鉄道駅のひとつと言われることになる「ミラノ中央駅=1912年着工、1931年完成」の場所にあった。「ミランFC」はその後いくつかのグラウンドを渡り歩いたが、1920年からは市の東ロンバルディア通りに完成したイタリア初のコンクリート製メインスタンドを持つスタジアムをホームとするようになっていた。

 2万人収容、陸上競技場型のスタジアムは、イタリア代表の試合にも使用される、当時としては第一級のスタジアムだった。しかし当時の「ミランFC」会長ピエロ・ピレリはその収容規模にも施設としての質にも満足していなかった。そこで彼は市の西郊、サンシーロ地区に5年前にオープンしたばかりの競馬場のすぐ西隣に3万7000平方メートルの土地を購入、ここに新スタジアムを建設することを決める。

 ちなみに、「サンシーロ」とは、中世からこのあたりにあった村の名前で、20世紀にはミラノ市内の地区名となっていた。村名は、1世紀に北イタリアで布教したキリスト教の聖人「パヴィアのシルス(イタリア語ではサンシーロ)」にちなむという。彼はキリストの直接的な弟子ではなかったが、少年時代にキリストと係わった人として知られている。

(2)へ続く
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