■始まりは「ミランFC」
さて、この1926年、イタリアのミラノで、サッカー史に残る出来事があった。名スタジアム「ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム(1980年までサンシーロ・スタジアム)」の誕生である。前年に建設が始まり、わずか13か月、1926年9月19日に「こけら落とし」の試合が行われている。スタジアムはこの町の人気クラブ「ミランFC(現在のACミラン)」の所有だったが、招かれたライバルクラブの「インテルナツィオナーレ・ミラノ」が6-3の勝利を収めた。
それから100年、「サンシーロ」は何回にもわたる大改修を経ながら同じ場所に立ち続け、ミラノ市にとどまらず、イタリアのサッカーのシンボルとして偉容を誇ってきた。サッカーだけではない。今年2月に行われた冬季五輪「ミラノ・コルティナ2026」では、総合開会式の舞台としても使われた。「世界の名スタジアム」のひとつが、100歳の誕生日を迎えたのは本当にめでたい。
だが残念なことに、このスタジアムで試合を見ることができるのは、あと5年ほどのことになる。ACミランとインテルナツィオナーレ・ミラノの2クラブが共同出資する新スタジアムが、近隣の地区にではあるが、2031年には完成することになっているからだ。そして現在のスタジアムは、取り壊されて商業施設などになるという。
「サンシーロ」を誕生させたのは、ACミランだった。このクラブは1899年に英国人を中心に「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」として始まり、1901年に第4回の「イタリア選手権」で優勝を飾ってミラノ市の人々の心をつかんだ。当時イタリアのサッカーにはプロがなく(プロ化は1929年)、アマチュアの時代だったが、サッカーは大きな人気を集めるようになっていた。
ちなみに、「ミラン」とは、イタリア語での都市名「ミラノ」の英語名である。英国人がつくったクラブだから、英語名が使われているのである。ライバルのインテルナツィオナーレは、イタリア語の「ミラノ」をクラブ名につけている。
「ミランFC」として知られるようになったクラブは、1906、1907年にイタリア選手権を連覇、イタリアきっての強豪となったが、1908年に外国人選手の獲得をめぐって分裂、ライバルの「インテルナツィオナーレ・ミラノ」が誕生する。














