東京のど真ん中に存在した夢のサッカー専用スタジアム「東京蹴球場」。後編では、筆者自身の中学時代のちょっぴり笑える青春エピソードとともに、この歴史あるグラウンドの「今」をお届けしよう。現在ここをホームタウンとし、まるで鹿島アントラーズのように手堅くて勝負強いサッカーを展開する都心の強豪クラブとは?
■東京蹴球場の思い出
そのアジア大会から10年も経っていない頃、僕はそのスタジアムで試合をしたことがあります。当時、僕は新宿区立中学のサッカー部の選手で、新宿区の中学生の大会に出場したのでした。
その会場が東京蹴球場だったのです。文京区とはいっても、新宿区に隣接した位置にあったのでここで大会が開かれたのでしょう。当時は「小石川サッカー場」と呼ばれていました。サッカー専用で6000人の観客席があれば立派な施設だったはずですが、どういうわけかトップレベルの試合にはまったく使われていませんでした。
その大会ではラインズマン(線審、現在の副審)を参加チームから出すことになっていたので、僕が担当しました。オフサイド・ディレイなどなかった時代ですが、フラッグはオフサイドの位置にいる選手にボールが出た瞬間に上げるべきものだったのに、その試合で主審をしていたどこかの中学の先生がルールをよく分かっていなくて、「FWがオフサイド・ポジションに立ったらすぐに旗を上げろ」と言われたので困ったことを覚えています。
ルールを説明しても逆ギレされ、僕のチームの監督(英語の先生)にも「言われた通りにしておけ」と言われてしまいました。

































