サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。最終回は、Jリーグ誕生期の「放映権」を巡る川淵三郎と渡辺恒雄(ナベツネ)の歴史的バトルから、現在のDAZNを中心とした巨大なネット配信時代までを解説する。テレビ中継はサッカーをいかに変え、そして未来へどう導くのか。【第4回/全4回】
■Jリーグの運命を決めた激闘! 川淵チェアマンVSナベツネの「放映権バトル」
そして1993年、日本のサッカーは空前のブームを迎え、日本は国を挙げて「プロサッカー時代」の熱狂を味わう。前年にスタートしたイングランド・プレミアリーグ、そしてUEFAチャンピオンズリーグと同様、Jリーグは放映権を一括管理し、クラブに分配するという方法を採用した。
チーム名を「愛称+ホームタウン名」に限定し、企業名を入れることを断固拒んだJリーグの川淵三郎チェアマンと当時の日本テレビ渡辺恒雄社長のバトルが喧伝されたが、両者の最大の対立はチーム名ではなく、放映権の扱いだった。
渡辺はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)を「巨人軍」にして、日本テレビの新たな「ドル箱」にしようとしていた。読売サッカークラブというヴェルディの前身をつくった1969年の日本テレビ・正力松太郎会長の意図は「第2の巨人」などではなく、欧州など世界の多くの地域で圧倒的人気を持つサッカーを日本でも盛んにしたいという思いだったが…。
しかし川淵は「Jリーグには巨人はいらない。全チームが健全に運営されていくために放映権収入を使う」という考えを持ち、その考えを断固変えなかったのである。Jリーグは1試合ごとの放映権料を全国放送なら1000万円などと決め、一括管理した。
歴史を見れば、川淵の決断が正しかったことは明白だ。「ブーム」どころか「バブル」とまで言われたJリーグの熱狂はわずか数年間で過ぎ、1年目、2年目にはNHKと民放各局が争うように放送していた全国中継の生放送が激減した。当然、放映権収入も大幅に減ったが、それに頼っていたクラブがなかったため、テレビ放映の激減が理由で破綻したところはなかった。



































