■今の時代じゃあり得ない!? 1試合を2週に分けて放送した「W杯放映」の裏側
もちろん「生中継」ではない。偶然のいきさつで東京12チャンネルは大会全32試合のビデオテープとその放映権を手に入れ、基本的に毎週45分間の番組枠を使って1試合を2週で放映するという、「サッカー先進国」では想像もつかないような放送形態をとったのである。
ただし東京12チャンネルの視聴可能地域は関東地方の一部に限られていた。それを知った地方のサッカーファン、関係者は、地元の放送局に働きかけ(あるいは圧力をかけ)、東京12チャンネルから権利を買わせて放映させた。
東京12チャンネルは続く1974年ワールドカップ(西ドイツ)も同じスタイルでの放映権契約をまとめ、7月7日に開催された決勝(西ドイツ×オランダ)は、試合が行われたミュンヘンのオリンピック・スタジアムから生中継を断行した。解説・岡野俊一郎、ゲスト・二宮寛、実況・金子勝彦の3人は、巨大なスタジアムの最上階から興奮を伝えた。日本初の「ワールドカップ生中継」だった。
メキシコ大会の放映から3年後、「ダイヤモンドサッカー」の「放映網」は広がっていたが、全国を覆っていたわけではない。作家・増山実が2024年に発表した小説『あの夏のクライフ同盟』では、そうした時代の日本のサッカーやサッカー放送の状況が詳細に語られている。






























