■FIFAが狙った「未開の地」
1988年7月4日、スイスのチューリヒで行われた国際サッカー連盟(FIFA)の理事会で1994年ワールドカップのアメリカ開催が決定した。ワールドカップのホスト国決定理事会が7月4日(アメリカの建国記念日)に行われることで、対立候補だったブラジルとモロッコは会議前から「白旗状態」だった。アメリカは、FIFAにとってどうしても開拓したい市場だった。
人口2億5000万人(当時)、世界最大の経済力を持ち、ワールドカップの公式スポンサーには、いくつものアメリカ企業が名を連ねていた。そのアメリカが1950年以来ワールドカップ出場もなく、国内にプロリーグさえ持っていない状況を、FIFAは看過することができなかった。「サッカー未開の地」を開拓することは、FIFAの経済的地位を飛躍的に向上させるはずだ…。
しかし肝心のアメリカ代表は1950年代から北中米カリブ海地域の予選を勝ち抜くことができていない。
ところがここに思いがけない幸運が舞い降りる。この年の4月にグアテマラで開催された北中米カリブ海地域のU-20選手権(翌1989年のFIFA U-20世界選手権の予選)で、メキシコが4人もの年齢制限以上の選手を出場させ、最終順位としては2位だったものの失格とされ、3位のアメリカが繰り上がるという事件が起きたのである。












