サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、気になるワールドカップ開催国のサッカーについての続編。
■短命プロリーグがまいた種
ニューヨーク・コスモスに刺激され、他のチームも世界のビッグネームを続々と獲得していく。1975年にはエウゼビオ(ポルトガル)が「ボストン・ミニットメン」でプレーを始め、1976年にはジョージ・ベスト(北アイルランド)が「ロサンゼルス・アズテックス」に身を投じた。さらに、ヴラディスラフ・ボギチェビッチ(ユーゴスラビア)が「ニューヨーク・コスモス」と契約(1978年~)、1979年にはヨハン・クライフ(オランダ)が「ロサンゼルス・アズテックス」、後に「ワシントン・ディプロマッツ」でプレー…。NASLは一躍世界に注目されるリーグになったのである。
残念ながらリーグは1980年代になると急速に経営状態が悪くなり、1983年のシーズンをもって閉幕に追い込まれる。世界がアメリカのサッカーに初めて注目したプロリーグNASLも、15シーズンという短命に終わったのである。
しかし、NASLは単なる「あだ花」で終わっただけではない。アメリカ社会に初めてサッカーという競技を浸透させ、しかも「未来」への種をまく、重要な役割を果たす。
ファン層を増やすため、NASLのクラブは積極的に少年少女を巻き込む活動を行い、各地でサッカー教室を開催した。サッカーをする芝生の広場にはこと欠かないアメリカ。たくさんの少年少女が参加し、サッカーをプレーするようになる。











